何度も同じ事書いてますが、基本的に今いる世界というか、大げさに言うと宇宙は自分であります。
ですから宇宙=自分が何を思おうがどうしようが関係無いのです。
例えばこのブログを読んで、「何だかとっても疑問だわ、書いてる人は馬鹿なんじゃないかしら」と
思っても
それでOKなのです。その後に、「でも何だか気になるわ、あのブログに書いてある通りに
しないとダメなのかしら、馬鹿が書いてるけど。」と思ったら、別にそれでも良いのですが、
別に気にし過ぎる事もありません。
前も書きましたが
「心を指針に」するといつまで経ってもつつき回されます、「心の指針」になるのであります。
そのためには「あれが気になる」とか「このようにしないとダメなのかもしれない」とかの
思考に振り回されない事です。「叶っているから、その投影としての研ナオコ」と同じで、
「叶っているから、そのような思考が出てくる」と受け取れば良いのです。
つまり
世界の状態や浮かんでくる思考に主導権を渡さないということです。
「このブログには全て関連性なんて無いって書いてあった、でも他の本には関連性云々って
書いてあったわ。すごく疑問だわ、やっぱりこのブログは馬鹿が書いてるのよ」と
思っても、それが
あなたの宇宙での真実です。
「でも、この馬鹿の言うことも一理あるかもしれないわ」とか思って、
延々と同じところを回る必要はありません。それこそ心を指針にしてしまっています。
結局、何を見ようが何を思うおうが最初からあなたの宇宙は完璧であった、という事ですね。
ですから
これ以上何を望むのかっつー事です。何も望む必要が無い事に気付けば、何も望む必要が無い状態が投影されます、
それはエゴから見れば「叶った」状態かもしれません。
「叶える」としようとすると叶わずに、「何も望むものが無い」事に気付くと
「叶った」ようになるのであります、ただ
「何も望まないなんてトンデモねえ!」と
エゴが騒ぐので結局「心を指針」にして同じ所をループしてしまうのです。
というわけでちょっと語弊があるかもしれませんが「望まない」のではなく
「望むものはない、お腹いっぱい」になってみましょう。
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