「世界は全て調和が取れており、完璧である」 というような言葉が結構スピ系の
本とか、マスターとかいわれてるオッサンの動画とかでよく見かけるんですが、
私自身もその通りだと思います。「完璧だから、あなたの願望は叶います」みたいな
事が書いてある本もありますよね。
しかしながら、この「完璧」を
エゴの解釈で理解してしまうと、
やっぱり叶ったり叶わなかったりを繰り返してしまうでしょう。
「世界は完璧なのです!」これをマスターのオッサンが力強く言ったとします。
借金で悩んでるAさんは「完璧だから、借金は完済できるだろう」と思うかもしれないし、
失恋続きでリストカットしまくりのBさんは「完璧だから、私にも彼氏ができる」と
思うかもしれないし、会社経営が軌道に乗り儲けまくりのCさんは「完璧だから、オイラの
会社はもっともっと大きくなる」と思うかもしれません。
三者三様の「完璧」がありますが、どれもこれも
各人のエゴにとって都合の良い完璧なのです。
つまり「完璧」をそのまんま日本語の単語として解釈すると、どうしたって自分に(エゴに)
とって都合の良い解釈になるのは避けられません。
「完璧」とは
エゴにとって心地よい完璧ではありません。文字通りエゴに気付き
エゴからの解放を垣間見た瞬間に存在する感覚というか意識というか、
我慢してたウンコをスポンと発射したあの瞬間みたいな高揚感というか、
まあそんなもんです。その感覚を言葉にし、なおかつ人に説明しようとするとどうしても「完璧」しか出てこないのです。
説明する必要が無いなら
「ズバババーン」とか「ギャギャギャギャーン」とかいくらでも言えますが、
それだとキ〇ガイブログになってしまいます。
ですから、スピ系の本にちょこちょこ出てくる「完璧」とか「愛」とかの単語は、
字面から受ける印象を即採用しないのがコツといえばコツかもしれません。
どうしても最初の内はそれらの単語をエゴによって解釈し、
もっともらしい意味を付け加えて
わかった気になりますから。 やはりここでも無意識かつ勝手に動き出すエゴの動きに
まずは気付きましょう、という事になるのですね。
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