いつもダラダラと似たような事しか書いてないので、たまにはシンプルに行きましょう。
仮にあなたが誰かの事を好きだったら、それはその人の事を好きなのではなく
あなた自身の事を好きなのです。
あなた自身に「好き」な気持ちを向けているから「好き」になれる対象が具現化されて
いるのです。
ではその気持ちを向けている「あなた」とは何処にいるのでしょうか、それは何処にもいません。
「気持ちを向けている」という文章から「それならば、何か対象があるはずだ」と勝手に解釈して
便宜上の「あなた」が出てきただけです。つまり存在しているんだけど、存在していないもの、それがあなたの
”本体”なのです。
このブログだと最近は源泉掛け流しとか、もっと前だと
すき家の意志とか言ってたアレです。
本体は何時でも何処でも、好きだとか豊かだとか幸せだとかを生み出せます。というより
そういった感情というか波動というか何でも良いんですが、とにかくそんなもので出来ています。
つまり、
生み出せるという事、あるいはそれ自身であるという事は、
外部(と思っているもの)に証拠など探す必要は無いのであります。
例えば屁をこいてから、屁をこいた証拠など探し回ってもしょうがありません。
屁をこいてから
「俺は本当に屁をこいたのだろうか!?」とか騒ぎ出しても周りの人は
答えようがありません、せいぜい周りが臭いとか臭くないとかで判断するだけです。
これが無臭のすかしっ屁だったら、もう屁をこいたかどうかは本人にしかわかりません。
しかし
屁をこいた世界は紛れも無く屁をこいた当人には存在しているのです。
自分の本体は、強いて言えばまつ毛のようなもので、目の前にあるけどなかなか気が付けないもの
です。しかし「好き」あるいは「死にたい」とかの
極端に感情が高ぶる時にこそ、
その姿をひょっこり現します。ですから今、猛烈な大恋愛をしている人や、あるいは振られて自殺一歩手前の人はチャンスです。
感情が高ぶって恋をしている時は世界がバラ色に、失恋した時は灰色に見えるのは
気付いていないかもしれませんが、その時に
自らの本体にアクセスしているからではないですか。
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