読者の方からのメールに書いてあったのですが、ある本に「到底叶わないと思える願望を抱こう」と
書いてあったそうです。で、その読者の方は
「AKB48全員と付き合いたい」という
願望を抱いたそうです。
しかし一人三ヶ月付き合うとしても、48人と付き合うとするとトータルで実に144ヶ月、
12年かかる計算になります。よく考えると
前田敦子が32歳になってしまっているので
これは到底叶わない願望と言えるでしょう。
まあ私だったら「全員と付き合う」のではなく
「全員とヤる」事を選びますね。
これなら一人一時間としても、
二日間必死に頑張れば良いだけですし。
冗談は置いといて、その後「AKB48全員と付き合える」恋愛ゲームが出たらしく、
メールの投稿者は「ゲームかよ!」と思ったそうですが、今回の話はそこではなく、
まず「到底叶わない願望」とは
一体誰がそう思っているのかということです。
「到底叶わない」はエゴが居るからこそ出てくる概念と言えます。
「到底叶わない願望を何か一つ言ってみ」と言われると、無意識のうちに「自分」を作って
自分基準に「到底無理」なものを考えます。
ここで重要なポイントが出てきます。
結局の所、願望を実現したように見えても、それは
「自分」という狭い殻の中で、
本来は存在しないエゴに対して何やかんやとやっているということなのです。
願望実現系のブログとかで「制限をかけている概念に気付いてうんたらかんたら」とか
書いてあるのを以前見た記憶があるんですけど、
最大の制限は「自分」という幻なのです。例えば「結婚して、大きい家に住んで、幸せな家庭を築きたい」とか願っても
「結婚相手はこういう人で、家は広いけど都心部は高いからちょっと郊外でも良いや、
幸せを願えばそれで良いんだ」とか何だかんだで「自分」を基準に考えている人もいるかも
しれません。
別にこれが間違っているとかいうわけではありません、しかし冷静に見ると
結婚相手も「自分の」好み、住む家も「自分の」経済状況を基準にしていますよね。
つまり
殻から一歩も出ていないのと同じです。
こう言うと「じゃあ自分を無くすとは、結局は願望を感じなくなる仙人みたいな
存在になれっつー事ですか」と思うかもしれません。
まったく逆です。自分という殻を無くすからこそ、制限が外れて
今ままでせき止められていたものが溢れてくるのです。
雨が降ってくれば、地面は勝手に水分を吸収して植物を育て豊かな森を作り出します。
雨が降ってきてるのに「雨をたくさん集めたい」とかいって馬鹿デカイ壺とか持ってきても、
地面に吸収される水の量には到底太刀打ち出来ません。
ナントカメソッドの殆どはこの
「デカイ壺を持ってきてどうにかしよう」という
類のものなのです。つまりデカイ壺=「自分」という制限であります。
いくらナントカメソッドで効果が出ても、それは壺が巨大化していっているだけです。
大地の広大さに勝てるはずもありません、
だから叶ったり叶わなかったりなんですよ。エゴは「壺はデカければデカイほど良いよ!」とささやくと思いますが、何の事はない、
壺をどかせば良かっただけだったのです。
昨日も書きましたが、とりあえず願望云々は置いといて自分の存在を疑ってみて、というのは
この感覚というか何というか、「自分」という基準を作る前の状態に気付き、いかに制限を
かけてしまっているかという事に気付いて欲しいのであります。
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