スピリチュアル系の話がややこしくなるのが多いのは
ざっくり言ってしまうと
能動的に行おうとしてしまう
からです。
どういう事かというと、例えば何かを行ったから結果と
して何かが出て来るみたいな、そういった能動的に
行っているという感覚が普段から当たり前と感じて
いるからであります。
なのでスピ系の話だと私は居ませんとか自己は無いとか
が強調されますが、これは何かを行おうとするのは
基本的に「私が」何かをする、という感覚になりがち
なので、それをやめましょうという話になります。
じゃあそれをどうすんのかというと、
全て
意識が先にありきという事を知る、つまり「私が」
何かを能動的に行うのではなく、私とは
受動的・結果的に
生まれるものだという認識になる事が肝要です。
例えばご飯を食べるというのは私がメシを食うのでは
なく、まず最初に「メシを食う」という意識があり、
その結果として「私」が出て来るのであります。
もう一つ例を挙げるとスーパーマリオのプログラマー
だとして、ボタンを押したらマリオがジャンプすると
したらそれはマリオの意志では無くまずプログラマーの
「キャラクターをジャンプさせたい」という意識ありき
ですよね。
その為にプログラミングがありコントローラーがあり
ボタンがあり、その後にようやくマリオが出て来る
わけで、マリオが自分の意志で飛んでるわけでは
ありません。
これをそのままスケールを大きくするとゲーム内の
世界におけるあらゆる現象は全て最初にプログラマーの
意識ありきなのでゲーム世界で災害や戦争が起きるのも
全て意識ありきであり、災害や戦争をゲーム内で
体現するにはそれを
"受動的に"受け取るキャラクターが
必要となります。
逆に言えばゲーム内のキャラが
「自分はゲーム内の
イベントを体現する為に現れては消えるプログラミングの
一部に過ぎない」という事に気付けば、ゲームの中に
居ながらにしてゲームから脱出する事になります。
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