「スピリチュアル的に今に在ろうとしていますが
お金が絡む投資やギャンブルになるとどうしても難しい
ので、どうすれば良いのか」というメールを頂きました、
ありがとうございます。
これはそもそも投資とかギャンブルやめましょうと
言ってしまったら終わりなので、あくまでお金のかかった
場面でどうするかという観点になりますが、
簡単なのは
神様視点の気分になってしまう事です。
例えば分かれ道でどちらかに行けば100万円落ちて
いるが、もう片方の道は何も落ちてない場合、確率の
話をすれば単純に二分の一の確率で100万円ゲットに
なりますが、これが神様視点だとどっちに100万落ちてる
かはわかっているので確率もクソも無いですよね。
なので確率とか期待値というのは
神様視点からは存在
しない事になります。
つまり投資とかギャンブルで選択を迫られる場面に
なったら取りあえず直感でも何でも良いので選択して、
後はお金の流れだけ眺めているだけで良いです。
もちろん得する事もあれば大損こく事もあります。
しかしこれはそもそも得するとか損するという話では
なく、
本当に眺めるだけであります。
こんなので何か意味があるのか?と思うかもしれま
せんが、少し話が飛躍しますが眺めるというのは
神様視点に近づくという事でもあります。
例えば朝から晩まで空を眺めていると太陽が昇ってきて
沈むという一連の流れを観ることになります。
本当にそれだけですが日の出と日の入りに文句つける人は
あまり居ないと思うので、文句をつける自我が無いと
いう事は日が昇って沈む事を確実に知っていて、
それを受け入れて生活が太陽の動きに従っている。
つまり前述したこっちの道を行けば100万円を知っている
神様視点と同じです。
日の出と日の入りに従うという事はその流れに在ると
いう事であります。
流れに在るという事は特にこうしようああしようと
考えなくても適切な行動を
せざるを得なくなるという
事です。
ものすごく単純な例だと日が昇れば起きて、日が沈めば
寝るみたいなモンですね。
それと同じで眺める事で流れの中にあれば投資でも何でも
適切な行動をせざるを得なくなるんですよ、
それは利益を確定させる事かもしれないし、或いは
損切りかもしれませんが、既にその事に文句つける
自我は消えているのであります。
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