「スピリチュアルで言われる自由意志が無い、という事は
我々は最初から終わりまでカッチリ行動が決まった
ロボットのようなものなのか?しかし自己が居ないと
なるとロボットすら居ないことになるのでこの辺が
わからん」的なメールを頂きました、
ありがとうございます。
これは一言で表すと
カッチリ決まっていながら曖昧で、
曖昧でありながらカッチリ決まっていると言えます。
スーパーマリオで例えるとファミコンのスーパーマリオ
って1-1から8-4まであって全32面なんですよ。
で、基本的にマリオが右へ右へ進んで行くわけなんです
けど1-1のスタート地点から8-4のゴール地点までを
一つの画面で全部表示したとしたら次はどんな面なのか
とかはカッチリ決まってるのが一目でわかりますから、
これは
ある人の人生を最初から終わりまで一目でわかって
しまうのと同じです。
そしてマリオが各面でどんな動きをするのか、というのも
基本的に前から亀が歩いてきたとかブロック叩いたら
キノコが出てきたとかの情報・刺激によりある程度は
決まっています。
と言ってもスーパーマリオは隠れキャラが居たり
色々裏技があったりでその情報量は無限とも言えます。
なのでマリオが各面の中でどんな動きをするのかは
情報が多すぎるのでわからんと言えますし、そもそも
マリオ自体もゲーム内の情報に過ぎません。
ただマリオがどんな動きをするかはわからない、と
言っても、あくまでもスーパーマリオの中の話であって
突然ドラクエの魔法が使えるようになるとかは
ありません。それでも情報が膨大なのでやはり何を
するかは曖昧なままです。
つまり
カッチリ決まっていると同時に曖昧であります。
強引にまとめると
全ては情報であって、私、という情報も
結局は情報の海を漂っている別の情報によって作られた
ものに過ぎないという事ですね。
なので全てがカッチリ決まっていると同時に全てが曖昧
であるという状態なので、あまり深く考えなくても
良いです。と言うか色々深く考えるという行為も、
結局はマリオがゲーム内で色々な裏技を試して飛んだり
跳ねたりしているのと同じです。
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