最近の記事で実は「今」を感じる事は
厳密に言うと出来ないよって事を
書いたんですが、これは無理矢理「時間」という概念を使って説明すると、
目の前で起きている事は
全部「過去」であるとも言えます。
少々ややこしいですが「今」を感じているぜ!と感じている時は
もはやその「今」は通り過ぎた後なので、「今」じゃなくて「過去」を
感じているんですね。乱暴に言えば思考で捉えたものは全部過去の遺物です。
ですから過去に、つまり
過ぎ去ったものにあーだこーだ言ってもしょうがないので
あります。「今」は常に自分と共に在ります、つまり「今」=「俺」なので
今である俺様が今を感じる事は出来ないのです。
ちょうど自分の顔を自分の目で直に見ることが決して出来ないのに似ています。
で、ちょっと
話が飛躍しますが、「今」を感じる事が出来ないのだから
わざわざ感じようとしなくても良いのであります。
つまり結局の所「何もするな」になってしまうのです。
「でも、それだと何も変わりません」と思うかもしれませんが、
それは
「それだと何も変わらない」と思うから何も変わらないのであって、
だったら「何も変わらない」と思わなければ良いだけです。じゃあ「変わった!」って思えば良いのか、と考えがちですが
そうするとエゴが
「何が変わったの?」と必ず呟くと思います。
で、変わっていない証拠を次から次へと探してくると思いますが、
ここで
証拠を探しているのはエゴであって、あなたではないという事です。
ですからその「証拠類」とあなたは何の関係も無いのです。
そもそもその「証拠」を思考で考えた所で、それは前述したように過去の遺物であります。
常に「今」と共にあなたは一歩先を行っているということです。
一歩先を行っているのに、わざわざ過去の遺物に立ち止まる必要はありません。
それに気付けば、その内に無駄な思考は止まります。
一歩先を行った後にどうなるのかは、行ってからのお楽しみであります。
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