「世界は全て自分でありどうのこうの」という言葉は、エゴ視点だと非常に理解が困難な
言葉であります。というより理屈で説明するのが
ぶっちゃけ無理かもしれないです。
強引に理屈でまとめると次のようになります。まず世界とは、というか自分が知覚できる
ありとあらゆるものは万華鏡を覗いた時に見える模様のようなものです。
万華鏡の模様を構成しているのは、ビーズとかの欠片ですが、
この欠片がエゴであります。
万華鏡は欠片が動き回る事で配置を変え、模様を作り出します。欠片の立場からすれば
あっちいったりこっちいったりで落ち着きません。
「もうこんな生活ヤダ!」と欠片は叫び
「幸せになるメソッド」を買う事にしました。
でも、たまにうまくいったりいかなかったりで欠片は満足しません。
今度は
「幸せになるスーパーメソッド」を通販で買いました。 前よりは事態が好転したように
見えました、でもやっぱり満足できません。今度は
「幸せになるウルトラメソッド」をローンで買い、
それでもダメなら
「ハイパー」になり
「アトミック」になり・・・とキリがありません。
ついには「欠けるモンは欠ける」という
胡散臭いブログまで発見して読み始める始末です。
果たして欠片は幸せになれるのでしょうか・・・。
ここで視点を変えて頂きたいのですが、万華鏡の模様はとても美しいものですよね、
欠片の立場だと自分がいかに美しい模様の一部になっているか理解できません、あっちゃこっちゃ動き回されているだけに感じています。
しかし、万華鏡の模様は間違いなく美しいのは事実です、この万華鏡をグルグル回して
美しい模様を作っているのは、神の意思です
(あんまりこういう表現使いたくないんですけどね、
宗教クセーし)神の意思に逆らって事態をエゴの都合の良いように制御しようとするからそこに苦しみが
生じるのです(くどいようですが、宗教的意味合いはありません)
万華鏡の欠片ではなく、万華鏡を回している神の意思に目覚めたとき、あらゆる不安は消え
最初から完璧だった事に気付けるのです。
「願望を実現したい」 この言葉には「自分にとって(エゴにとって)都合の悪い事は制御して、
都合の良い事だけを取り入れたい」という意味が含まれています。
つまり
良い事も悪い事もコントロールしたいという欲求が隠されているわけです。
しかし万華鏡の欠片がそんな事出来るわけありません、欠片が強引に踏ん張って動かなくなったら
それはもう美しい模様を形作る欠片ですらありません、万華鏡を回す神の意思からすれば、
単なるゴミです。もういらない、と言われるでしょう。すなわち
世界との分離です。
せっかく美しい模様の一部だったのに自ら分離をすれば、さらなる苦しみが待っています。「足りない」「何も持っていない」という不足をバリバリに感じる事でしょう。
そしてそれらを少しでもコントロールしたいと、終わりの無いメソッド探しの旅を続ける事になります。
ですからそんなコントロールの欲求はやめましょう。
良いも悪いもありません、万華鏡の欠片は美しい模様から美しい模様へと変わっていきます。
今まで隣にいた人、あるいは物が失われることもあるかもしれません、でもそれは別の
美しい模様になるために万華鏡が回ったからそうなっただけなのです。
エゴの視点からすれば「大切な人と別れた」「大事な物を失った」になるでしょう、
しかし神の意思からすれば、
それもまた別の美しい模様になっただけなのです。理屈で理解するのは非常に困難かもしれませんが、結局不足なんて最初から無かったんです。
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