本来の自分はまったく完璧な
「源泉掛け流し」なのですが、
どうも最近の読者の皆さんからのメールだと
「とにかく現実をコントロールしたい」っつー
渇望みたいのが多いようです。だから「自由意志は無い」の話で
軽くパニックが起きたのでしょうか。
実際の所、コントロールは
無理です。
何でかっつーと、現実と思っているものは幻みたいなモンだからです。
幻を操作しようとしても疲れるだけなのであります。
で、ここまで読んでもしかしたら「エエ何だよ、操作も何も出来ないのかよ!」と
ヒジョーに不快な気持ちになった人もいるかもしれません。
しかしですね、見方を変えれば本来何もない世界に「不快感」を創ったののは
誰かという事です。
そう、あなたですよね。何も無い世界に「不快感」というよくわからない概念を瞬時に創れるって
すごくないですか(すごいよね?)
まさに無限性を感じる瞬間であります。
ぶっちゃけて言うと、
幻なんだから快感だろうが不快感だろうが何を創ったって構わないんですよ。
「快感を創る俺ってスゲェ!」「不快感を創るアタシって天才だわ!」で良いのです。
何かを見たり、何かを感じたり、とにかく全部瞬時にあなたが創っているわけです、
ですから不快感を感じるっつー事は、まさに
本来の自分と隣合せにいる瞬間であります。
不快感を消そうとか操作しようとかしても変わりません、その不快感を創り出している
自分自身の力というか、力こそパワーというか、それに気付けば良いのです。
不快感を通して、本来の自分を思い出すという事ですね。
思い出しちゃえば、もうそれでOKです。
便宜上ポジティブだとかネガティブだとか名前が付いてる概念が湧いてきても、
それを湧き出させる創造者としての自分にどんどん気付けるわけですから
かえって喜ばしいぐらいです。
もうこうなると「自分」と思っているものが何かをするという感覚が無くなっていきます。
もちろん客観的には肉体を持った「私」がメシ食ったり居眠りしたり本読んだりしているんですが、
そういった
行為そのものに意味を見出さなくなってきます。何か知らないけどやりたくなったからやる、何か知らないけどやりたくないからやらない。
このブログも殆ど
自動筆記みたいな感じです。もちろん「文章を考えている私」は
居るんですけど、「文章を考えている私」を創っている「私」が本体というか、
ちょっとそれこそ文章に出来ないし書くのもめんどくさいんで、
まあそんな感じです。
オマエ病気なんじゃないかというツッコミが入りそうですが、しかしながら
このちょっとおかしなオッサンが書いているブログを創ったのは、
もちろん読者であるあなたであります(ちょっとややこしい?)
今回の記事のキモは、どんな事を見たり感じたりしていようがそれは幻であって、
幻を創っている私と、本来の私は背中合わせだよっつー事であります。
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