スピ系と最も密接なものと言えば
「命」と
「お金」でしょうか。
ぶっちゃけて言えばあらゆるメソッドはこの二つへの執着とか未練とか
渇望とかをどうにかするためにあると言えるかもしれません。
まあこのブログだと「全部幻」という
ヒジョーにアバウトな捉え方を
しているので、それに従えば生や死も無いし、お金も存在しません。
と言うとまたややこしい話に突入するので、今回は久々にメソッドっぽい話です。
メソッドっぽい話の方が読者受けも良いし。
お金というのは文字通り
「お金がある」っつーだけであって、
それ以上でもそれ以下でもありません。にも関わらず「お金が無くては ~である」みたいにあらゆるものに
お金を当てはめるのは、まさに長年のクセのようなものかもしれません。
「お金が無くては、ナントカだ」というのは
「背が高くなければモテない」と
言っているのと殆ど同じです。お金の有無と様々な事象は関係無いのに、
何故か関係付ける習慣があるのです。
しかし「でもお金無いとコンビニでオニギリも買えないしカプセルホテルで
泊まったりも出来ません」となるかもしれませんが、これは
順番が逆で
オニギリ食ったりカプセルで泊まるためにお金が出てくるだけなのです。
「まずお金ありき」だと必ずお金の残高ばかり気にします。
しかし、まずお金ありきと考える場合、残高は少ない事が多いと思うので
ずーっと「お金が少ない」が意識から消えないと思われます。
しかし、全部幻なので「残高というものは存在しない」のであります。
ですからお金からも自由になってしまえば良いのです。
そう、ドラクエ止めた後は
桃鉄からも自由になるのです。
ただ難しいというか、誤解しやすいのは「お金なんて無いんだね、じゃあ車とか家とか
バシバシ買うよ!」と言って買いまくる事ですが、これは桃鉄から一歩も出ていません。
「お金が有れば車が買える」が「お金なんて幻よ」と聞いて「お金が無くても車が買える」に
なっただけだからです、つまり
お金の存在はしっかり認めちゃってるんですよね。
結局書いてみるとメソッドっぽいというより、
ここ数日の記事の焼き直しみたいに
なってしまいましたが、「ゲームを止めたつもりでやっぱり参加している」状態に
なるケースは多いので、この辺にまず気付いてみて下さいね。
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