「枠組み云々言ってるけどそれが外れた所でどうなるの?」という
問い合わせ(?)みたいなメールがちょこちょこ来るようになったのですが、
ぶっちゃけて言うと
「何も変わりません」が、しかし これは言いかえれば
「自転車に乗れるようになる前と、なった後」みたいな
モンで、自転車に乗れるようになってからいきなり背が伸びたり毛が生えたりしないのと
同じで、枠組み云々に気付いたからといって、いきなり渋谷に住んでたのが六本木に変わってたとか
そういう事もありません。
しかし、自転車に乗れる前と後では確実に自分の中で「何か」が違うのと同じように、
やっぱり「何か」は変わります。それは文章では説明できないものですが、
変わるモンは変わるのであります。
同じ風景でも自転車にうまく乗れずにフラフラしながら走っていた時と、
スムーズに乗れるようになってから見るのでは全然違って見えるのと同じです。
ただ難しいのはその方法論を
思考で追いかけると、磁石が反発するかのごとく
逃げてしまうという事です。ですからこのブログだと「何もしない」事を度々書いているのですが、
それでもやはり「何もしない」を「する」ゲームに陥りやすいのです。
で、「ゲームに陥るからどうたらこうたら」と書くと「でも結局は仕事しないと
一家心中だし、世界が滅ぶ」と感じるかもしれませんが、
これはまあその通りです、いきなりゲームそのものをスパっと変えるのは困難です。
まずはゲームにいることを自覚しつつ、ゲームに参加しない事が肝要です。
仕事だ何だはゲームにいる以上はやらねばならない「作業」です。
ゲームに参加しないとは、その「作業」の結果その他に振り回されないという事です。
振り回されないとどうなるか、その内「作業」に関わっている「自分」が消えていきます。
「作業」に「俺の感情」「私の考え」が入ってくるから「参加」してしまうわけですから、
参加しなければどんどん「自分」は消えていきます。
そうすると残るのは何か、
「ただそこに在る」という意識だけです。
自転車の練習中は色々考えて、思って、試していた事が、乗れるようになってからは
何も考えず何も思わず「ただ、乗っている」になるのと近いです。
この「ただそこに在る」がゲームから抜け出るには肝心だと思います。
そのためにはどんなに
嫌で苦しい感情が湧いてきても、そこにどっぷり浸かる必要も
あります。浸かるからこそ、「自分」が「嫌だ、苦しい、何とかしたい」と思ったり感じたり
している事、つまり「参加」してしまっている事に気付けるのです。
一度「参加」に気付けばそれで終わりです、サーフィンでも一度波に飲まれれば
次はそう簡単には飲まれません、
いずれは波と一体に、つまり「何もしなく」なります。嫌だとか苦しいとか湧いてきたら、ビッグウェーブが来たと思って飛び込むぐらいが
丁度良いです。
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