ゲームや枠組みに気付いてどうのこうのとややこしい話がここ数日続いています、
まあいつもややこしいだろって言われると何も言えないんですけど。
枠組みに気付いたからと言って、昨日も書きましたが別に何が変わるっつー事も
ありません。が、
ゲームの中に居ながらにしてゲームに参加しないという状態には
なります。
Aさん「と言われてもさっぱりわかりません、あなた頭おかしいんですか」
私「
そうです。 ゲームだ何だというと抽象的なので、もう少し理屈で説明して
みましょう」
我々は基本的に常に見たり聞いたり嗅いだり味わったり感じたりしています、
いわゆる
五感というものであります。
五感を通じて、我々は思考し、思考に基づいて世界というものを創っています。
PCを起動させればマイクロソフトやアップルのロゴがディスプレイに出てきて
「PCを起動させた」と思うし、仮に目をつぶっていても起動音でやっぱり「PCを起動させた」と
思います。
もっと前に遡れば電源を指で押した感触などで、やっぱり「PCを起動させた」となります。
で、これが(五感が)全部無くなるともう「PCを起動させた」世界が無くなってしまうのです。
五感を通じて思考しているわけですから、五感が消失するともう思考出来ません。
思考に基づいて創られた世界も、そこで終わってしまいます。
当然、
時間の流れも何もありません。つまり五感が勝手に世界を創っているだけで、文字通り幻を見せられているのです。
と同時に
その幻は全て「私」であるとも言えます。
本当の私に気付く前の、偽りの「私」は腕をつねったら痛いから、これは私の腕だとか足だとか
言って偽りの「私」を強化していきます。しかしこれは触覚で「私」を判断しているだけであって、
「つねって痛いから私だよ」というのは触覚が
勝手に言っていることであります。
同じように、「向こうにいるあの人」とか「目の前のこの人」という「他人」も
視覚やその他の感覚で勝手に定義付けているだけです。
全て一体となっている宇宙なのに
わざわざ分離をさせているわけですね。
全てと一体になれば、もうゲームに参加することはありません。
ゲームにいながらにして参加しない、ゲームのプログラマー、もっと言えば
プログラミングそのものになるわけです。
湧いてきた願望は、全てプログラミングに存在するから現れるのです。
スーパーマリオとテニスを使って256Wを出すのも、プログラム上にあるから
出てこれるのです(このネタわかる人います?)
でも今、目の前にお金とか牛丼とか無いですよ、と思うかもしれませんが、
それも視覚が勝手に言っているだけでしょう。
お金云々という概念や、札束がどんなものかわかっているなら、それは既にプログラム上に
存在しているという事です。
以前も
「呼吸出来る事を疑うのはおかしい」みたいな事を書いた記憶がありますが、
それと同じで世界との一体感に目覚めれば、もう何やかんやと疑う事自体がおかしいのであります。
全て自分の一部なわけですから、あって当たり前ですよね。
PR