ここ数日は
ややこしい話が続き過ぎました、原点に立ち返り単純な話をしていきます。
何度も書いていますが、世界とは自分であります。
とにかく今回は話を単純明快にするために
「世界は自分」という事で話を進めます。
今この瞬間も、読者の皆さんも世界を創り続けています、このブログも
当然読者の皆さんが
創っています、「ブログ」「文章」といったものを認識した瞬間に、もう目の前にブログが
出来上がってますよね。
そして「もう全部在りますよ!」みたいな文章を見た瞬間に「何言ってんだ、何もないやんけ」と
思い、実際に何も無い世界を創っているかもしれません。
あるいは「全部在るなら、なんで私の財布には百円しか入ってないの?なんで恋人もいないの?」と
思っている人もいるかもしれません。
もちろんそれも
あなたが瞬時に創った世界であります。「在りますよ!」「いや、無いよ!」と思った瞬間に無い世界が創られました。
「在りますよ!」「わかった、でも証拠を探したいよ!」と思った瞬間に、証拠を探したい世界、
つまり延々と証拠を探し続ける世界が創られました。
世界=自分の基本というか原点は
これだけです。
Aさん「では私の空っぽの財布に十万円ぐらい入ってると思えば十万円が出てくるのですか?
あるいはイメージング、アファメーション、ナントカメソッドとかやれば良いのですか?」
これは半分正解で半分間違っています、イメージングだ何だとかは何かを実現させるために
やるのではなく、「世界は自分だった」事に気付くためのツールとしての意味合いが強いと
思います。
Aさん「でもどんなに思い込んでも、十万円は出てきませんよ」
出るわけないじゃないですか。だって無いから思い込もうとしているんでしょう、
在れば思い込むわけないし。ここでも望み通り「無い私=無い世界」を創っています。
ではどうすれば十万円が出てくるのか?
簡単です、「在る」に意識を向ければ在ります、それだけです。
しかし何故そんな単純な事が難しく感じるのでしょうか、それは願望っつーものに未来だの過去だの
余計なものがくっついてくるからです。
「十万円無いと困るんです、今月食べていけません」とか「十万円無いと将来的に支払いが
出来なくなります」とか色々湧いてくると思います、それらにいちいち反応するから
そういった世界が創られていくのであります。
お金と恋愛沙汰って
特に余計なモンが多数くっついてくるので、まずはその余計な物を
どれだけ創っているかに気付く、というより「お金」とか何だとか聞くと
瞬間的にポコポコ沸き上がる感情とか思考とか全部、それらが瞬時に「私=見えている世界」と
なります
。気付くもクソも瞬時に創っていたのであります。お金や恋人に関し、いかに余計なものを創っていたかに気付き、
「あってもなくてもどうでも良いもの」とまで思えるのがベストかもしれません、
そうすると
「恋人がいないなんていやああああ!」となるかもしれませんが、
もう「恋人がいないと嫌」な世界を創ってますよね。
で、「じゃあ、いてもいなくても諦める悟りの境地みたいになれっていうの!」となりますが
そんな事一言も言ってません。ただ単に「意識を向けたことが、そのままあなたの世界になる」というだけです。
逆に言えばお馴染みの
「現実は内面の投影」というフレーズに集約されます。
この辺、やっぱりややこしく感じるかもしれませんが、実際は非常にシンプルです。
もうメソッドも瞑想も必要ありませんね、
だってそういったものが必要な世界を創ってたのもあなたですから。
某格闘漫画に登場する地上最強の生物こと
範馬勇次郎が「弱者同士で工夫したらいい、
極意だの奥義だの秘伝だの秘技だのウエイトだのスタミナだのと、
それらの創意工夫は 闘争という物質にある不純物だ」と作中で
言っていましたが、これはまさに一つの真理を言っています。
瞑想だのナントカメソッドだのアファだのそれらの創意工夫は、世界が瞬時に創られるという
真理のなかでは不純物だったのであります。
勇次郎、たまには良い事言うじゃん!
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