昨日の続きですが、
「私=世界」であり思ったことは何でも創造されるわけですから、
「1億円欲しいです!」とかの”願い”はある意味
デンジャラスとも言えます。
何故なら、
「1億円欲しい(必要だ)」と思ってしまう世界が展開されてしまうからですね。
もしかしたら莫大な借金を抱えるとか、超絶に金がかかるキャバ嬢にハマるとか、
常に「1億円欲しい」と思う出来事が頻発するかもしれません。
これを避けるには「常にある」と思えば良い、と考えがちですが、
これは「無い」事から目を逸らしているだけです、これは非常によくある間違いです。
「無いからあると思おう」と思いたくなる世界が創られるという事ですね。そもそも「自分」という存在すら、
意識しているからこそ創り出しているわけです。
このブログを読もうと思ったら「PCの前に座ってブラウザを開く自分」が
居てくれないと困るので、殆ど無意識に「そのような(ブラウザを開く)自分」を
創っているのです。まあ携帯で見るっつー手もありますけど。
そのような
瞬時に全てを創造する”自分”に気付けばああだこうだとする必要もありません。
この辺はどうしても思考でああだこうだと考えがちです、恐らく「ああだこうだとする必要も
ない」という文章を見た瞬間に(まあこの文章も本来は自分が創ったものなんですけど)
「いや、でもそれだと不安です」とか「そんなアホな事は信じられません」と
色んな葛藤みたいなものが出てくると思うんですけど、それらの”葛藤”に焦点を向ければ
その通りの世界に瞬時になるというだけです。
「そんなアホな事は信じられない」と思えば「そんなアホな事は信じられない」世界に
なるだけです、
非常にシンプルです。スピ系の書籍やこのブログでも「完璧」と思うのではなく「完璧」だったと気付くみたいな
微妙な言い回しが多いのですが、それは「完璧」と思うだと、
「不完全な世界だから完璧と
思いたい」になる事が殆どだからです。
非常にニュアンスが伝えにくいんですけど、「空気が無いから空気があると思う」のと
「最初から空気なんて周りにあった」事に気付くの違いみたいな感じです。
今回の記事の内容で言えば「願望通りの世界を創りたいから色々やってみる」ではなく
「最初から願望通りの世界なんて
バシバシ創っていた」事に気付くという事です。
Aさん「そんな事ありません、だって私は何も持っていないからこそ、何かの助けになるかもしれないと
思ってこんなくだらない糞ブログまで読んでいるのですよ。今まで読んできた時間を返してください」
この問いへの答えは既に出ています。
「何も持っていないからこそ、何かの助けになるかもしれない」物を望む世界を創ったという事です。
御希望通り世界は(自分は)こんなくだらないブログまで創って
望み通りの世界のお膳立てを
してくれました。なんと素晴らしいことでしょうか。
シンプルな真実に気付けば、何一つデンジャラスな事は無いのであります。
ナントカメソッドもいらないしインドの山奥で修行する必要もありません、
瞬時に創る能力は、最初から誰でも持っていたのです。というか
瞬時に創れるからこそ
世界が存在するのです。
PR