五感すら幻だという話を最近書きましたが、これは肉体の奴隷、つまり
肉奴隷になっては
イカンという意味でもあります。
肉体は、過去の記憶に対し非常に敏感に反応します。
私が若かりし頃、タレントの雛形あきこさんに似ている女性と付き合っていた時期が
あったのですが、当時遊びまくっていた私の浮気がバレて、結局あきこモドキの女に
ブッ飛ばされたわけですが、それ以来テレビで雛形あきこを見る度になんとなくアゴが痛くなったりしたものです。
上記の話は非常にくだらない例ですが、これと似たような事は読者の皆さんも
もしかしたら経験があるかもしれません。
肉体の感じている事は全て過ぎ去った事、つまり過去の遺物だけであります。
視界に映っている映像ですら、過去の物です。
肉体(と思っているもの)を通しては、
過去も未来も超越した「今、この瞬間」を捉える事は
出来ません。にも関わらず、どういうわけか普段から過去というものに焦点を絞り、
過去というものを出発点にして未来に勝手に期待したり、勝手に絶望したりしている事が
多く見受けられます。
「過去、こうだったからこうしたい」という形の願望はとても多いですが(というより殆どこの
パターン)これでは過去というものを創り出し、そこから延々と同じ事を繰り返す事を
宣言しているようなものです。今に焦点を絞る、というか今しかない事に気付くべきです。
と言っても五感を通して「でも今はこうじゃないか」と言うのは「今」ではありません。
「今、狭い家に住んでるけど、どうなのよ」というのは真実ではありません。
何故、狭い家なのか?それは「狭い家に住んでるから広い家に住みたい」と思っているからです。
「広い家に住みたい」と思うには「狭い家に住んでいる」が必要なので
、望み通り狭い家なのです。「今まで(つまり過去)狭い家にいるから、広い家に」と過去を勝手に創り出しているわけですね。
じゃあどうすれば広い家になるのか、それは五感を通じて得た「狭い家」という思考に
支配されない事です。
思いきり簡単に言えば、
目を閉じちゃえば家が広いもクソも無いですよね、というより
無限に広いとも言えます。つまり五感を通して得た情報は全て幻だったと気付くのです。
願望の実現とは
古い肉体の支配から脱出し、新たな肉体へと移り変わるとも言えます。
「狭い家」という視覚情報を持っていた肉体から離れ、「広い家」という視覚情報を持つ
肉体へと移り住むわけです。
広いとか狭いとかと同じく、一体
何を見て何を感じて何を判断しているのかに気付く事です。
「貧乏だ」と感じているなら何を見て、何を感じてそう判断しているのでしょうか?
預金残高か、玄関が汚いからか、部屋が四畳半だからか。あるいは寝ているときに隣のオッサンの
いびきが聞こえてくるからか、様々な要因があると思いますが、それら全ては幻です。
目を閉じれば無限の広さを感じ、創る事が出来るのに、五感の情報を信じて
わざわざ狭いとか何だとか創っているわけです。
今までどれだけ五感を通じ、五感を信じていたか振り返れば、いかに望み通りの世界を
創っていたかを実感できると思います。
結局、
常に望みは叶っているんですね。
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