枠組みがどうのこうのという話を以前に書いたんですが、
「枠組みを外すとどうなるの?」あるいは
「外してからどうなるの?」という疑問が
出てくると思います。
まあこれに対しての答えみたいのは何回か書いているのですが、
外した所で
何も変わりません。突然世界がバラ色になるとかはありません。
ただ現実(と思っている)に対するリアクションみたいのは変わります。
単純な例で言えば、自分の怪我した腕を見るのと、他人の怪我した腕を見るのは
まったく違うはずです。
自分の怪我した腕を見ると、どうしようだの医者は何時までやってたっけとか痛いじゃんとか
色々考えますが、赤の他人の怪我を見ても痛そうだなとか程度で特に何も思わない事が
多いと思われます。
枠組みを外すと、起きている事を全部
「他人事」として見ているようになります。
起きている事にいちいちああでもないこうでもないとケチをつけているのは
自分なので、自分という枠が無くなれば全部他人事になってしまいます。
自分の預金残高が500円しか無かったら動揺するかもしれませんが、
まったくの他人の預金残高が500円しか無いのをたまたま見ても、
その時は色々思うかもしれませんが、すぐに忘れるでしょう。
ずーっと「あいつの預金残高は500円しか無いんだ・・・!なんて事だ・・!」とか
思っている
アブナイ人はいないと思います。
しかしどういうわけか「自分の」預金残高は500円というのにこだわる人は
多いようです。
「あいつの預金は500円」と「俺の預金は500円」は同じなのです。
違うのは「自分」という枠組みで見ているか、「あいつの」という枠組みで見ているかだけです。
ですから「俺の預金500円しか無い!」とずっと思ってればずっとそうなるというだけです。
そんな枠組みは必要無いと思われるので、外しちゃえば良い、というだけです。
「では外したら500円の預金が5万円ぐらいには増えるのか?」そんな事知りません。そもそも「預金が増えるのか?」と聞いた時点で「自分の」預金は
増えるのかと聞いているわけです。
これだと結局枠組みから一歩も出ていません。相変わらず枠組みに振り回される不自由な
毎日であります。
そうではなくて「500円の預金残高」をめぐる物語という、物語自体の枠組みが
外されれば、もうやることはありません。
「でも、500円しか無かったら生活できない!」となれば今度は「500円では生活出来ない」と
いう
枠組みの中でのストーリーが始まります。まずは
ループを断ち切る事です。
ループから抜けたと思ったら新たなループが待っているかもしれませんが、
一旦ループしている事に気付ければ、抜け出すのは容易です。
結局多くの人が行なっているのは、人生という名の壮大な一人相撲なんですよね。
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