昨日の記事とかは、はやい話が「関連付けるのをやめよう」という
ただそれだけの内容なのですが、「~したい」というのは良くないよみたいに
受け取った方もいたようで、やはり文章で書くのは難しい所であります。
かなり乱暴な説明になるかもしれませんが、過去も未来も何も無い事に気付くと、
例えば目の前を歩いているオッサンは、
全ての瞬間において別人であります。
右足を踏み出しているオッサンと左足を踏み出しているオッサンは別物なのです、
それはまさにパラパラマンガの如く、一つ一つのコマで描かれているオッサンは
みんな別物です。しかし超高速で周りの状況その他で判断し、「今、目の前を歩いている
オッサンはこれこれこういう人物であり、私の知っている(知らない)人だ」と
創造しています。
で、そのオッサンと顔見知りなら
「このオッサンはこれこれこういう性格で、
家族構成はこうで、このような性癖の持ち主であり何たらかんたら」と延々と設定を創り続けます。
まあ別に創るのは全然問題無いのです、
何でもバシバシ創るのは誰もが持っているスタンド能力みたいなモンで、
問題はその事に気付かない事です。
色々な事が毎日起きると思いますが、それらは全て
「自分の創造する力」の証明のようなもので
何が起ころうが
「力が証明されたべ!」と感じていれば良いのです。
と言っても「証明されるのは良いけど、だから何だって言うのさ!」となると思いますが、
取りあえず創造する力に
抵抗せずに放置しておく、という事をお薦めします。
昨日も書きましたけど「叶えたい」は創造する力にある意味ケンカを売っているのと同じです。
「あのオッサンはいつも右手でハナクソをほじっているけど、左手でほじって欲しい!」と
言ってもしょうがないのです。
ややこしいですが、鼻をほじっていない通常の状態、いわゆる
ノーマルオッサンと、
鼻をほじっている状態の
ほじりオッサンは別物なのですから、
ノーマルオッサンとほじりオッサンを結び付けて「叶えたい!」と騒ぐのは騒ぐ方が
おかしいのです。
ノーマルとほじり状態を同一視しているからこそ起こる勘違いと言えます。
ですから同一視しない、というより全てが別物である事に気付く、
そこからいかに
創造する力が自分そのものであるかに目覚めていくのであります。
ターンAガンダムのデザインを見て
「こんなのガンダムじゃねえ!」と言っても
ファーストガンダムとターンAは別物なので、騒いだってしょうがないのと同じです。
まあ私は当時騒いだんですけどね。
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