「世界は自分が創っているのかと思うと辛くてたまりません。
飼っていた猫が死にました。昔好きだった俳優も亡くなりました。
何故私はこんな世界を創ってしまったのでしょうか」みたいなメールが一時期頻繁に来ていたのですが、
恐らくこのような悩みを持つ方は、私のような非常識なボンボンと違って、
非常に
几帳面かつマジメな常識人なのではないかと思います。
シンプルに言えば、別に何が起ころうがあなたに責任は無いのであります。
確かに世界=自分です、が、しかしであります。
それは創ったもの全てに対し徹底的に責任持てという事ではありません。
無責任で良いのです。冷徹な言い方に聞こえるかもしれませんが
極論すれば目の前で人が射殺されてもあなたに責任はありません。
つい一週間ぐらい前にも自由だ何だと書いた記憶がありますが、
責任が無いっつー事は自由であるという事です。
「こんな世界創っちゃってどうしよう!まいっちんぐ」なんて責任を感じる必要はありません。
もうちょい正確に言うと
「創った世界でのイベントに責任を持つ必要は無い」という事です。
モンハンのプログラマーが、オンライン上でリオレウスが五万頭も殺されたとかに
いちいち振り回されてたらゲームが成り立ちません。
わざわざゲームを成り立たなくさせているのも、やはりあなた自身であります。
せっかく自由な世界そのものなのに、概念や出来事や人物といったイベントに
振り回されるのは勿体ないと思いませんか。
ある時は振り回される事に怒りを感じ、
そうかと思うと媚を売り出し、またある時はいきなり愛してますとか言い出すのは
もうやめましょう、どう見てもアブナイ人です。
「じゃあどうすれば良いのか?」 これは質問自体が既に「現実にかまわれたい、
あるいはかまいたい」という願望があるという事であり、希望通りそれが現在進行系で
叶っているという事であります。望み通りこれからもかまったり、かまわれたりが続くでしょう。
大体「質問がどうたらこうたら」の質問の内容は
「現在進行系で叶っている事」に
気付かないでいる事が殆どだったりします。
結局、答えは己の中にあります。
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