「このブログだと何もしないとか何だとかあるけど、やっぱりメソッドとかやらないと不安だぜ」と
いう人もいるかもしれません。
もちろんやりたいならどんどんやれば良いのです、鼻をほじるなとか歯を磨くなとか
言われても、やりたい時にはやるでしょう、それと同じでやりたいなら好きなだけやればよろしい。
ただ、やっぱりメソッド自体を
「楽しむ」方が良いでしょうね。
暗い気持ちで呪いをかけるような陰気な顔でナントカメソッドをやっても
別に構わないのですが、「私はこんな暗い気分で過ごしていて良いのでしょうか」みたいに
なりがちなので、初心者(?)は
「楽しく」感じるものをやるべきです。
毎日快便で楽しい、と毎日ナントカメソッドとかナントカ瞑想をやるのは楽しい、は
同じレベルのものです。
メソッドというものは
あって無いようなもので、こだわるのはあまり意味がありません。
楽しい気持ちで過ごしていたら良いことがあったなら
「楽しい気持ちで過ごしましょう」が
メソッドになるし、暗い気分で過ごしていても、エコエコアザラクとかエロイムエッサイムとか
唱えてて良いことがあったなら
「呪文を唱えようメソッド」になるわけです。
つまりメソッドそれ自体に深い意味はありません、世の中のどんなメソッドも
はっきり言ってこじつけです。
しかし、矛盾するようですがメソッド自体は「何もする必要はない」「世界って幻だったわ」という
意識というか認識というか、その事に気づくための取っ掛りとしては、やはり必要かもしれません。
まず色々なメソッドだ何だに取り組み、取り組んでいく中でメソッド自体の概念を研究したり
疑ったりして、最終的には真の自分というオリジナルに目覚めるのです。
ですから最もやってはいけないのは
特定のメソッドに対する執着と、特定の人物に対する
依存であります。もちろんこんなブログを熱心に読むなど
論外です、いつも言っていますが
変なオッサンが書いている読み物として適当に流し読みしていれば良いのです。
今回の話は武道で言う
「守・破・離」であります。
まず言われたことをやってみて、続けていく中で概念を覆し、最終的に一流一派を立てて
師匠から離れていくというものです(本来の意味と違う所もあると思うけど
気にしません)
あらゆるメソッドの類は、このブログも含めて全て「破」と「離」に繋げるための
取っ掛かりなのです。そして縁あってこのブログを自分の世界に「創り出している」
読者の皆さんは、既に「破」「離」の段階へと進みつつあるのです。
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