思いのほか読者の皆さんからメールを頂いてとても感謝しています。
いつも
同じような事しか書いてないブログでも、読んで頂ける方が
いると思うと、知らんモンは知らんで済ませるのが果たして良いのだろうかと
悩む次第です。
今回も、
まあ同じような話なんですけど、昨日の記事の補足的な意味合いで
書いてみようかと思います。
昨日の記事で、夢や希望はエゴのおやつみたいなものだと書きました。
このおやつに釣られると
「夢と希望を持って願望実現に頑張る」みたいな
エゴが用意したポジティブストーリーに入り込んでしまいます。
そのポジティブストーリーの結果は、叶ったり叶わなかったりだと思われます、
エゴはさらにおやつをチラつかせて、あなたにポジティブストーリーを続けるように促すでしょう。
結果として「さらに夢と希望を膨らませ」あなたは前進を続けると思います。
前に進んだ先には、様々な成功法則やスピリチュアルな教えが待っています、
どれもこれも魅力的な内容で、あなたは夢中になって研究するでしょう。
そして叶ったり叶わなかったりを繰り返しつつ、なんとなく適う事が多くなってきたように
感じ始めると「これで正しいんだ」と思うと同時に、適わない事が出てくると「まだ何かが
間違っているのか」とも思い始めます。
そして
延々と成功メソッドを探し続けます、「希望に胸を膨らませ」ながらです。もう今までにこれだけ似たような事ばかり書いてあるブログを読んでいる人ならピンと
来たと思いますが、上記の例は完全に「エゴが作り上げたポジティブストーリー」の中で
踊らされている典型例です。
夢や希望という「未来」に焦点を向け、「今」に在りません。これでは叶ったり叶わなかったりは当たり前です。何故ならそうでないと「未来への希望」に
焦点が合わないからです、勝利と敗北を繰り返すからこそ「未来への希望」は生まれるのです。
なんでもかんでも満たされてしまったらポジティブストーリーは終わってしまいます、
それはエゴにとっての終焉を意味します、ですから
何が何でも終わらせまいとエゴは頑張ります。今まで色々と研究や実践をしてきたメソッドの類がいつの間にか
「エゴの作った
ストーリー」の演出の為に利用されていないか注意すべきです。それは「希望」という皮を被り、いかにも味方だよという振りをして隣にいるのです。エゴの作ったストーリーに気付き、
それまでのストーリーに絡んでいた信念や思考は
全て幻であった、と認識していけば、最後には何も残らないでしょう。
その何も残らない状態が
「今」であり、「何もしない」状態です。
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