基本的に思考は願望の実現には殆ど必要無いものです。
思考は「~をしよう」とか「~する」という概念を生み出し、エゴが
それに乗っかって
ややこしい事になるのがお決まりのパターンです。
少々ややこしい話になりますが、あなたが何か動作を起こしている時に
どんな動作をしているかを判断するのは全て過去に対してです、
手を挙げようが足を踏み込もうが全て「手を挙げてから」あるいは
「手を挙げている途中」に思考で「今、手を挙げている(挙げた」と
判断しています。つまり
「手を挙げる」という動作と、その動作を思考で
認識するまでにタイムラグが生じるのです。これをそのまんま願望の実現に当てはめると、
「何かを得たい」という意図と
「何かを得ようと今、思っている」という「思考」にも同じようなタイムラグが
生じています。先の手を挙げる挙げないの例で言えば、
「手を挙げよう」という
「意図」と「今、手を挙げている(挙げた)」という「思考」は同時に発生しないと
いう事に改めて注目してください。「願望はそれを思った瞬間に叶っている」とはスピ系の成功本なんかでよく見る表現ですが、
正確に言うとそれが「意図」である場合は「願望」という属性すら持ちません。
せっかく「意図」すれば良いだけなのに、思考と、それに乗っかったエゴの仕業で
「意図」が「願望」という「色々やらないと叶わないもの」(と、エゴが認識している)に
クラスチェンジしてしまっているのです。もう一度「手を挙げる挙げない」の話に戻りますが、この「手を挙げる」という動作も
思考によって確認作業をするから初めて「手を挙げている(いた)んだ」と認識できるわけで、
思考が入ってこなければそこにはもう純粋な意図しかありません。何をしたか、なんて認識していないので気が付いたら意図を果たしている状態であり、
文字通りワープであります。つまり「今、何してたんですか?」と言われても
「知らんモンは知らん」となるわけです。
「どうやって願望を達成したんですか?」「どういうメソッドをしたんですか?」それらの質問に対し「思考」を用いて「多分このようにやったのだと思います」と
説明するのは可能です、しかしながらそれは「多分こうやって手を挙げたんだと
思うんだけど・・・」と言っているのと同じ事です。
つまり説明している当人は
その時「意図」していただけで「叶えよう」としていないのです。「叶えよう」とするのは「願望」です、そして「願望」は叶ってしまうと
消滅してしまうので、
絶対に叶いません。メソッドを追い掛け回しても意味が無い理由はここにあります。
結局、全ては自分の中に眠っているんです。
実際の所、自分がどういう角度でどんなスピードで、いかなる入射角で手を挙げたなんて
わかるわけないですよね
(わかるって人がいたらゴメン)でも聞かれた以上は
思考を使って「多分こうやって・・・」と答えざるを得ないわけです。
でも、それって思考での後付けなんで
答えてるようで答えになってないんですよ。
夜寝てる間に別の部屋に移動してたら、起きてから「そういえば車に乗ってたような・・・」とか
後付けで色々と理由を探すのに近いです。まあ実際寝てる間に別の部屋に移動してたら
願望実現とか以前に
拉致された可能性が高いと思いますけど。
今日は少しどころか
かなりややこしい話でしたが、いきなり思考を止めて
どうのこうのはちょっと難しいかもと思ったので書いてみました。
まずはエゴや思考の仕組みに気付き、いかに自分が「今」から外れているかを認識すれば
思考を超えた
「何も知らん」状態を垣間見れるかもしれません。
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