最近「私」の存在など無い、という事に気付くべし的な事を書いていますが、
「私」が居なくなれば今まで「私」視点で見てきた世界は無くなります。
両親も、友達も、恋人も、隣の家のハゲオヤジも、
居なくなります。それらは全て「私の」両親とか、「私の」家の隣に住んでるハゲ、とかなので
「私」が居なくなると、それらはいなくなってしまうのです。
と言ってもいきなり世界が爆発して無になるとかではありません。それら全てのものが
「私」を超えた大きな「私」として感じられるようになります。
少し話が飛びますが「これは引き寄せでしょうか?」的な概念も無くなります。
何故なら
「私」が引き寄せている的な概念が無いからです。
ナントカメソッドやら何やらを難しくしている最大の要因は
「私が」それを行うのだという思い込みです。「私」には何の力もありません、そもそも存在しないものに力を与えるのは無理な話です。
「私」を通してメソッドをするのではなく、メソッドそのものが、イコール私なのです。
幸せだとか不幸だとかの概念は、「私」を通して幸せとか不幸ではなく
それそのものが私であります。存在しないものをわざわざ存在するかのように認識し、
いちいちそれに検問させる必要はありません。
かわいい女の子の隣に自分の顔が写っている写真は見てて嬉しいかもしれませんが、
かわいい女の子の隣に自分以外の人の顔が写っている写真は不愉快かもしれません。
自分の顔と思っているものや、他人の顔と思っているものに入れ替わるだけに過ぎないのに
何故嬉しくなったり不愉快になったりするのか。
ここに存在しないのに存在するかのように振舞う検問の正体があります。
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