前回の記事はどういうわけか読者の皆さんから大変な反響がありました。
面白いのは頂いたメールの内容が
「大変に大きな気付きを得てハッピー、ウヒョー」という内容と
「もう絶望です、死にます、さようなら」という内容が半々だったということです。
願望に関わらず普段から様々な思考や感情が湧いてくると思います。まあ願望云々も
一種の思考であるとも言えるかもしれませんが、とりあえずそれは置いといて
本来は
思考や感情と「私」は別物であります。
という事は願望は
勝手にそこに浮かんでいるだけのものであって、「私」とは何ら関係の無いもの
であります。つまり
あっても良いし無くても良い、別に困らないのです。
願望が必要なもの、大切なものと認識してしまうと、ちょっと嫌な事を思えば「こんな事思ってちゃ
叶わないわ!」とか言って必死に打ち消し、良い事があればこれまた必死になって大袈裟に賛美し、
結局同じ所をグルグル回っているだけです。
前も似たような事を書きましたが、「私」が消えたから「ではこれを利用して叶えてどうのこうの」
となる思考が既にどこかおかしいのです。
「私」がいないのだから
「私の願望」という属性のものは無いはずです。
願望みたいな属性を持つ思考は浮かんでくるかもしれませんが、それはただ単に浮かんでいるだけで
あって、「私」の大切なものでは無いのです。
ですから放っておけば良い、というか
放っておくしかないのであります。
放っておけないのは、それが「私」にとって大切なものだという誤解から来ているだけなのです。
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