昨日の記事でマネーゲーム云々を取り上げたので、今日もゲーム繋がりであります。
私は
「ザ・マネーゲームから脱出する法」は未読なので著者の見解は知りませんが、
ゲームから脱出、つまりゲームそのものから降りてしまうという事に関して
個人的な考えを書いてみようと思います。
ゲームから降りる事が簡単そうで難しいのは、早い話が
「都合の良い事」を
期待するからであります。
本来は「自分」は存在しないのですが、どこまで行っても「自分」に都合の良い事を
期待してしまうものです。
存在しない「自分」に対して都合の良い事を期待しているんだから、苦しかったり不快になるのは
当たり前っちゃー当たり前なのです、まさにゲーム脳に陥っているのであります。
服を着ていると思い込んで寒空の下に飛び出して、寒い寒いどうしてだろうと
悩んでいるようなものです。
ゲームから降りる事さえ出来れば「自分」にとって都合の良い展開になるとか期待していると、
それもまた
新たなゲームの始まりであると思います。
ゲームである以上は、どうしたってゲームをプレイするコマが要ります。
そのコマにとって都合の良い事を期待していたら、これは「これからもゲームを続けていく」
という意志表示になってしまいます。
ですから都合の良い事を期待しない事です、本を読もうが祈りを捧げようがトイレを掃除しようが
コマにとって都合の良い事なんて起こりません。都合の良い展開を期待するという事は、完全にゲームプレイを続けているという事です。
何も期待しないなら、もはやコマを捨てたも同然なのでゲームはそこで終わりです。
「じゃあ都合の悪い事を受け入れなければならないのか?」と思うかもしれませんが
既にそれもゲーム脳に陥っています。
コマにとって都合の良い事を期待しなくなったという事は、
同時に
都合の悪い事もその重要性が無くなったという事です。
「良い事」と「悪い事」を分離していた壁が取り除かれ、
ルビンの壺みたく一つに融合した瞬間です、カッコ良く言えば
良いと悪いを超越したのであります。
もうゲームから降りたんだからコマがどうなろうが知ったことではありません、
「知らんモンは知らん」というどこかで聞いたような台詞を残してゲームから降りるのです。
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