最近、マネーゲームのまとめブログと相互リンクさせて頂いたせいか、
何故か著者でもない私の所に、「マネーゲームからの脱出」の内容についてのメールが
ちょこちょこ来るようになりました。
私はマネゲ本は立ち読みで済ませてしまったので、あんまりああだこうだ言えませんが、
マネゲ本で強調されていたホログラムに気付くとか、何とか段階から脱出するとかに
ついては、多くのスピ系で言われているのと同じではないかと思います。
「世界は全てあなたであってうんたらかんたら」というスピ系で
お馴染みの
フレーズを聞くと「それなら何で全部アタシの思った通りに動かないの!」となる
ケースが多々ありますが、ここで言う「自分の思った通り」とは非常に狭い範囲の
「思った通り」を意味するのが殆どです。
せせこましい自我の範囲の「思った通り」は、結局は「自分」にとって
都合の良い範囲に
限られます。
思った通りにすると言っても心臓を自由に止める事は出来ないし、
血液を沸騰させて蒸発させるとか、胃と肝臓を爆発させるとかの
北斗神拳みたいな事は出来ません。
というよりそんな事やろうと思いません、「自分」には都合が悪いからですね。
結局は無意識に「自分」と「その他大勢」的な分離を前提として
世界を見ているのであります。
「都合が悪いことは私じゃない、でも世界は私なのよ」これでは文字通りの都合の良い現実逃避、妄想になってしまいます。
分離が無くなれば、道路の車の流れも、雨が降る場所も、雪が積もる場所も、
全て血液が滞りなく流れているのと同じように、都合が良いとか悪いとで
判断しなくなります、というより出来なくなります。
「胃袋がこのタイミングで消化を始めるのはムカつく」とか普通は言わないのに
近いです。
分離が無くなった時点で、大袈裟に言えば
根本的な生命や宇宙の源、心臓を動かしたり血液を流したり内臓の機能を制御したりしている
「自分」には伺い知れない大きな何かに気付けます。
そしてその大きな何かが、本来の自分なのです。
恐らくこの都合の良い悪いを超越する事は、分離から抜け出る
最後の壁であります。
トンデモない抵抗が湧き上ると思いますが、それらは全て
分離を維持したい「自分」の最後の抵抗であります。
この凄まじい抵抗を緩和するために、「マネーゲームからの脱出」だと
「全部ホログラムだよ」っつー表現を使っているのではと感じました。
実際はホログラムでも幻でもマネキンでも何でも良いと思います、
私の世代だと「ホログラム」っつーと、ビックリマンチョコの
魔肖ネロとかブラックゼウスを
連想してしまうので、「幻」の方がしっくり来ますね。
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