基本的にこのブログでは、エゴがどうのこうのという表現は
色々と誤解を生みやすいので、最近はずっと避けているのですが、
エゴ、いわゆる自我というものは非常に巧妙に「自分」を
守り続けようとするものであります。
まあ「自分」がいなくなってしまったらエゴにとっては「死」になってしまうので
必死に守ろうとするのは当たり前っちゃー当たり前なんですが、
スピリチュアルな気付きや目覚めすら、
エゴにとっては生き延びるチャンスに
なる傾向があります。
前もちょっと書きましたが、いわゆる自分と世界との一体感みたいなものは
相当な至福感を伴う場合があります。が、しかし これは別に特別なものでも
何でもありません。
そうは言っても、素晴らしい幸せ!とかハッピー!とか目覚めた!とか
ついに
便秘が解消された!とか表現は何でも良いのですが、
やはりあまりの至福感の前に、今までの価値観などが一気にバランスを
失いやすいのも事実であります。
自分と世界の一体感とは、早い話が今まで外の世界だと思っていたものに
振り回されてきた事から、外も内も無く、全て自分であった。つまり
自分が
主体である事への転換であります。
そうすると、今まで「外の世界」と思ってきたものが一気に「無意味」に感じられ、
同時に
「今まで自分は様々な価値観に騙されていた、既存の概念やルールは
まやかしだったんだ」と感じる事が多いようです。
それはもちろん間違いではないのですが、ここにエゴがつけ込む
最大のチャンスが存在します。
「今まで」既存の概念に騙されて云々というのがポイントで、
「今まで」騙されていて「
今日から本気出す(目覚める)」というのが
既にエゴの生き残り戦略であります。
何度か書いていますが「世界=自分になってしまうと時間の概念は存在しない」ので、
(時間を感じる「私」が消失してしまう)「今までアレだったけど、今日からはコレだぜ」という
概念自体がおかしいのです。(と言っても文章で表現しようとすると、
ナントカに気付きましょう!という書き方にならざるを得ないのが難しいのですが)
つまり最初から世界と自分は一体だったので、
何々をしたから何々になった、というのは本来は有り得ないのであります。
何々をしたから何々になった、という概念は「生まれ変わった今までとは一味違う俺」
という新たなエゴが誕生したに過ぎません。これが厄介なのは猛烈な至福感を経た後なので、どうしても「一味違う俺」が
絶対的に正しいと感じてしまう所です。
「私」は居ないという事に気付いたはずなのに「一味違う俺」は確固たる存在感を
持って君臨しているのです、エゴからすれば
「生き残り戦略は完璧」であります。
では何で巷にはナントカメソッドとか、潜在意識で洗剤を買おうとか
瞑想で宙に浮こうとか色々あるかというと、それらは全て
「本来の自分からわざわざ
離れる」事を行うためです。
言い方を変えると、全てを創造する海であるあなたが、ちょっと波乗りをしたくなって
波を起こし、波乗りを楽しんでいるだけなのです。
波乗りを楽しむためには、サーファーを創り出さねばなりません。
サーファーを創り、波乗りを楽しんでいる内は良いのですが、いつの間にか
波乗りにハマり過ぎて、いつしかサーファーが意識を持ち出します、
つまりエゴの誕生であります。
こうなると、サーファーはさらに大きな波を探しまくって右往左往します。
これが
「外の世界に振り回されている」状態であります。
サーファーが幸せになれるかどうかは、予測のつかない波の高低にかかっていると
言って良い状態です。高い波が来れば喜んで低い波なら悲しみます、
いくら嘆いてもサーファーが波を操る事は出来ません。
が、しかし。最初から海である事を思い出せば、
波は単なる楽しみ、レクリエーションという事になります。
もう「外の世界」だと思っていたものに振り回される事は無くなります。
つまり
やりたいと感じたらやる、やりたくないならやらない、それだけです。
「瞑想をするとものすごい効果があるんだって、やらなきゃ!」ではなくて、瞑想したいなら
やる、めんどくせーと思うならやらない。
「潜在意識にインプットすると洗剤が買えるんだ、やらなきゃ!」ではなくて、
潜在意識云々をやりたいならやる、洗剤は間に合ってるならやらない。
あなたは海なのだから、波に感謝して楽しめば良いのであります。
決して波の高低に振り回されてはいけません。
PR