私がスピリチュアルな事を書いたり言ったりするのはブログだけで、
普段の日常では
スピリチュアルのスの字も言いません。理系バリバリのくせに雑誌の占いコーナーを熱心に読んで、アニメや漫画は
馬鹿が観る者とアニメファンの前で平気で言う性悪のくせに
エヴァンゲリオンだけは好きというわけのわからない私の彼女も
スピリチュアルには全然興味を示しませんし、
周りの友達もスピリチュアル以前に
人としていい加減なのばっかりなので
まずスピ系の話題自体が出てこないのであります。
が、一人だけ身内の死をきっかけに突然精神世界に目覚めてしまった知人が居ます。
その方とだけはたまにスピリチュアルな話をするのですが、
まあ良くも悪くも
大変に熱心な方なのですよ。
その方が一ヶ月ぐらい前に
「自我が消え、至福を感じた」とか言い出したので
とうとうこの人もおかしくなったかと思っていると、
今度は
「この至福を世界平和に役立てたい」とか言い出して、
まさかこの勢いで幸福実現党あたりから参議院選挙に出馬するとか言わねーだろうな
とか思ってましたが、そっちの方は杞憂に終わりました。
しかし問題はここからで、
「自分は至福を得たのに世界は苦しんでいる!」と
悩み出して、何か最近元気が無いのですよ。
世界平和とかって言っても漫画みたいに正義と悪にわかれているなら簡単ですが、
実際は正義と正義が激突しているわけで、「世界平和の実現」って言っても
結局は個人のエゴが悪と断定した方と戦うしかないわけで、
外側に求めている以上は
戦いは終わらないのですよ。
至福とは、善と悪とか、光と闇の勢力が戦っているとかの厨二病的世界ではなく、
突き詰めれば単純に
「好きか嫌いか」だけの話であります。
目の前に吉野屋とすき家があったらどちらが好きかというだけで、
松屋とすき家はどちらが光の勢力か?とか考えていたら明らかにおかしいですよね。
しかし前述した知人はそれをやってしまっているわけです。
「アメリカは悪の大国」とか言うとそれっぽいですが、
「松屋は闇の帝王」とか
言っても説得力無いですよね。
「羊たちの沈黙」だといかにもサイコサスペンスな
響きですが、
「羊の沈黙」だと羊が黙ってるだけで殆どギャグです。
結局は至福だ、善だ悪だ、平和だ苦しみだ、というのも自我の基準に従わざるを
得ないのです。自我は己の消滅を防ぐために
物事を何でも二極化しますから
二極化を超越する事であります。
そのためには、「AとBはどちらが善なのか」ではなく、単純に「どちらが好きか」
もっと単純に言えば「どちらを選ぶか」だけの話なのであります。
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