もう死にたいですとか、死のうと思いますという内容のメールを
たまに頂くのですが、いい加減死んだかと思うと同じ方から
三ヶ月おきぐらいに同じ内容で来るので、何だかんだで
生きておられるようで何よりであります。
今回はシンプルに書きますが、「死のうと思う」のは
年がら年中死のう死のうと思っているのではなく、
例えば朝起きたら株価が暴落してた時とか、女連れのリア充を
見てしまったりした時とか、民主党のポスターを見た時とか、
人によって
「スイッチの入る時」が違うと思うのですよ。
結局の所、これは
単なる刺激と反応であって、
膝頭を叩けばピョコンと跳ねあがる反射のようなものです。
その反射を押さえ込もうとし、結果押さえ込めないので
ますます「死のうと思う」という悪循環に陥るのであります。
この刺激と反応から抜けるには、「これは刺激と反応である」事を
認識すれば良いだけの話です。
「これは単なる決まった刺激に対する反応である」と認識するならば、
その認識をした時点で
「刺激と反応」からは自由だからです。
目にゴミが入れば涙が出るのは当たり前の「刺激と反応」と
認識しているはずです。ですから目にゴミが入って涙が出る事に
対して「もう涙を流すのは止めようと思います」とか言い出す人は
居ないはずなのです。
それが刺激と反応から自由になるという事であります。
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