基本的に世界は全て自己の投影であり、自己そのものです。
どのような事が起こるかは、様々な事柄が絡み合って源泉から湧き出てくるので、
その辺りを知ろうと思っても知る事は出来ません。
これは自分の顔を鏡などを使わずに直に見ることは決して出来ないのと同じです。
例えば「何か良いこと」が源泉から湧き出てくる場合、
この世界の誰が、あるいは何がどんな役割をするのかは源泉だけが知っているわけです。
全てを委ねれば良いのに、エゴ視点であーだこーだと喚くのは無駄というものです。
何故ならエゴには
何の力も無いからです。
「知り合いや親戚が結婚しました」でも良いことだし、「道で1万円拾いました」でも
良いことです。前者の例だと知り合いや親戚が「良いこと」を湧き出す役割を演じ、
後者だと
「道」と「道を歩くという行為」と「1万円」が良いことを演じているわけです。さらに言えば
エゴの立場から見たらどう見ても悪いだろ、という事でも
やっぱり良いことだったりもするわけです。例えば格安で旅行に行く予定でした、しかし旅行に行く前の日に事故にあって
入院する羽目になってしまいました、しかし旅行を予定していた国でテロリストが
大暴れしました、もし旅行に行ってたら、今頃テロリストと銃撃戦をしていたかもしれません。
結果的に「旅行に行かなくて良かったね」という事になると思います。
これがエゴ視点だと
「格安で旅行に行ける、やったー。やっぱり引き寄せの法則とかは
あるんだ」とか思い、事故にあった時点で
「何て不幸なんだ、やっぱり引き寄せなんて
ウソっぱちだコノヤロー」となり、旅行を予定していた国でテロ勃発を知り、
「よかった
助かった。やっぱり引き寄せはあるんだ、引き寄せサイコー」とか思うでしょう
(エゴが)上記の話は結局の所、目の前に起きている現象に一喜一憂しているだけであります。
源泉が主体ではなく現象が主体という逆転が起きています。これではエゴに惑わされ続けるのは当然といえば当然です。
話が少し飛びますが、源泉は別に
悪意を持ってあなたを生み出したわけではありません。エゴに惑わされ、エゴ視点から見て破滅的な道を歩む、という事はあっても
源泉それ自体は破滅を生み出しはしません。何故なら
破滅を生み出すなら
最初っからあなたが生まれる必要が無いからです。エゴのお喋りは、源泉に気付かない以上ずっと続きます。
このお喋りを止めるには、全て源泉に委ねてしまう事で解決します。
どんな事が起きようが、源泉であることを忘れなければ
その時の状況に応じた「適切な言動をするあなた」という形が湧き出てくる事でしょう。
↓ 以下は
ヒジョーにどうでもよい内容なので読む必要ありません。
今回の記事を読み返してて、「源泉」とか書くと
いかにもスピ系っぽい雰囲気に
なりますよね。しかし、今回の記事の「源泉」の部分を
「すき家」に変えると
台無しに
なってしまうことに気付きました。
「どのような事が起こるかは、様々な事柄が絡み合ってすき家から湧き出てくるので、」とか
「この世界の誰が、あるいは何がどんな役割をするのかはすき家だけが知っているわけです。」とか
「すき家は別に悪意を持ってあなたを生み出したわけではありません」とか
まさに
すき家恐るべし。PR