前も書いたと思うんですけど、「自分」と思っているものは
エゴがそう思っているだけで
実際は存在しないものです。「存在しない」というと語弊がありますが、「存在」を意識した時だけ
「存在」として湧き上がってくるわけです。
「自分」は存在しないのか、なるほど!と頭で理解しているにも関わらず、
何故か「何々を実現させたい」とか「これをこうしたい」とか思う時だけ、
どういうわけか
「自分」がいる事前提でやろうとする方が多いようです。
例をあげると「給料もっと欲しい」という願望を抱いたときに何故か「今の職場で」という
前提を無意識に思っている場合が殆どです。
別に今の職場で無くても良いではないですか、もっと言えば職場が地球でなくても
月とか火星とかM78星雲とかでも良いではないですか。
しかしながら「給料」は「自分」が貰うものだ、という
強力な固定観念があるために「職場は今の通いやすい所で・・・」とか色々と考えてしまうのも
まあ無理はないかなと思いますが、これでは結局のところ
「私」(自分)という物体がいて、
その物体が外の世界をあれこれ変えようとしているという完全なる分離を前提とした
ものであります。
そうではなくて、「自分」はいないのですからあとはもう「心地良い」世界を
創ってしまえば良いのです。そうすると、「わかった、心地良い世界を創ります。まずは
ムカツクあの上司が死んだ事にして・・・」とか思った人、
既に分離しています。なぜ、「自分」がいないのに「ムカツク上司と働いている自分」がいるのですか、それを創っているのもあなた自身なのです。
「あなた」の存在なんて無視して良いんですよ。もしかしたらあなたは今、自分自身の事を非常に矮小な存在だと思っているかもしれません。
そして「矮小な私」を変えたくてナントカメソッドを色々試しているのかもしれません。
しかしそれらは全て
まず最初に「矮小な私有りき」でメソッドを試していたに違いありません。「矮小な私有りき」でやってれば同じ所をぐるぐる回るのは当たり前なんですよ、
どんなにすごいメソッドを試そうが「矮小な私」というエゴの設定がある限り、
その設定なりの展開しか出てこないのです。
「俺は熊だ」という設定なのに「鳥のように空を飛びたい」というのは
無理があります。だったら
「私はカモメ」という設定に最初からすれば良いじゃないですか。
我々はまさに
刹那の瞬間ごとに無意識に設定を繰り返しています。この「設定」とは自分が住んでるところは地球だとか、自分の周りには空気があるとか
人間とは腕が二本で足も二本だとか、ガリガリ君は今年で30周年だとか、
そういった
本当に諸々全ての設定です。
無意識に設定を繰り返している事に気づかないと、エゴが勝手に決めた設定を基準にしてしまいます。
基準もいらないし、「私」という設定すら必要ないのです、というかそんなもの最初から
無かったのです。勝手に決めた基準に無意識に従っているから「自由意志」があるという
勘違いを起こすのです。
自由意志が無いと気付くことが、実は
真の自由に目覚める事であります。
あとはもう湧き出てくる展開にあーだこーだと縛られる必要はありません、
エゴ視点から見た「あなた」がいなくなった時、完全に自由な真の「あなた」に
気付くことでしょう。
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