「豊かさ」という言葉で連想するのは恐らく「お金」であることが殆どだと思います。
しかしそれは
我々が観ている世界が「お金」によって豊かでないとか貧しいとか
判断される世界である、というだけです。
源泉が「お金という物体で貧富の差が決まる世界」を湧き出させているわけです。
ですから豊かさをイメージというか、豊かさを想う事が出来れば、それが「お金」という
形で湧き出てくるのであります。もしあなたが
ギャートルズみたいな世界の住人なら
恐らく
マンモスの輪切りをたくさんゲット出来ることと思います。
ギャートルズでは恐らく豊かさの指針は、マンモスの輪切りをたくさん食ってる事だと思いますし。
源泉の意識に還ると、順序が逆というか、認識が
「まずナントカありき」になります。
例を挙げるとですね、実は私、
学生時代アマチュアボクシングやってたんですけど(でも弱かった)
相手のパンチを手ではたいて軌道を逸らすパリーとかパリングって言われるディフェンス技術が
あるんですが、結局これの目的は「パンチをかわす」事であって「パリングする」事じゃ
ないんですよね。
「パンチをかわす」がまずあって、かわす方法はパリングだろうが盾を出して受け止めようが
背中向けて逃げ出そうが何でも良いわけです。しかし、ボクシングのリングで盾を持ち込んだり
逃げ出したりは出来ないので、しょうがないんでルールで定められている方法でかわそうと
するわけです。
「パリングしたい」って願望の根本が「パンチをかわしたい」なのです。
まず
「かわす」ありきであり、その方法がパリングだったり何だったりと
「ボクシングのルールの範囲で」「勝手に」出てくるわけです。
ですから「豊かさ」が最初っからありきであり、それに気付けば
「お金で貧富の差が決まる
世界の中で」「紙幣や貨幣という形で」「勝手に」湧き出て来るのです。
どのような方法で湧き出てくるかはわかりません。道で札束を拾うかもしれませんし、
宝くじが当たるかもしれませんし、突然商売を始める気になって儲かるかもしれません。
もちろん
「豊かさ」を想ったのに財布落とした!とかも湧き出てくるかもしれません。
しかしそれは「パンチかわそうと思ったのに殴られた」と同じで、
既に「かわす」ありきなのですから気にすることは無いのです。
枝葉の部分にこだわるからああだこうだと思い悩むわけです。先のパリングの例で言えば「パリングしたいのに出来なかった!何故だ!」と
喚いているわけです。願望の根本を理解していないから枝葉の部分を切り取ってエゴが大げさに
喚くわけです。そしてそのエゴの喚きを自分であると誤解するとまたややこしい話になります。
源泉に還れば、何を選ぶかは自由であります。もしも
「豊かさ」はお金ではない、
自然との共生である。という想いが強く湧き出るようならそれでも全く構いません。
その想いが湧き出るに任せれば、そのうち大自然の中で自給自足の生活を送る自由人になるかも
しれません。あるいは猿かゴリラと生活を共にするようになって
ターザンのようになるかもしれません。
常に世界の創造をする権利はあなたにあるのです。
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