このブログは全くの個人ブログですが、これでも読んでくれている方を
少しは意識して書いています
(本当です)ですからブログに書く際は
読者の方へ説明というか、語りかける感じで書いていますが、
結局これは「書いている人」と「読んでいる人」という分離を前提にせざるを得ないので、
エゴ視点ではOKですが、
源泉的にはアウトであります。
実際は世界は一つなのですから「ブログを書いているAさん」と「ブログを読んでいるBさん」は
一つであります。仮に私が読者の方からメールを頂いても
「私が」というエゴが出てきて初めて
「メールを受け取った私」と「メールを出したあなた」という
分離が起きるわけです。源泉から見ればこれはメールというものが湧き出てきただけです。
つまり「私はあなたからのメールをもらった」という言葉から「私は」を消すと
「私は」と対になっている「あなた」も消えます。そうすると「メールをもらった」となります、しかし「もらう」という表現は
やはり
「私&あなた」がいないと成立しないので、「もらう」も消えます。残るのは
「メール」だけであります。
そう、湧き出てきているのはまさに
メールだけなのです。そこに「私」だの「あなた」だの「もらう」だの
言い出してああだこうだと色付けするのがエゴなわけです。
ですからこのブログに書いてあることが理解できない、まるで暗号のようだと感じている方は
「あなた」とか何だとかのエゴが生み出す概念を消して読むと、実にシンプルかつディープな
ブログになります
(多分)例えば「ワイは猿や、プロゴルファー猿やー!!」という文章から
エゴ視点の「ワイはプロゴルファー」を消すと、
「猿」だけになってしまうという驚異の神秘体験を垣間見る事が出来ます。
エゴに気づくという事は別に難しい事ではないのです、
上記の例のように本当に
「ただ、在る」だけなのです。
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