前回の記事と被りますが、何故か自身の悩みだ何だを価値のあるものとして
扱ってしまう場合が多いようであります。
病気や悩みを克服するとは結局それらを
克服すべき価値あるものとして
見ているのと同じです、ですからそれを克服した所で、と言うか克服する必要が無いと
わかれば、病気や悩みの価値は急落し、最後は消えて無くなります。
その為には後生大事に抱いている自分というものにも
価値は無いと
知るべきであります。自分というものには一銭の価値もありません、
無価値です、何のプレミアも付かないゴミみたいなものです。
価値を勝手に見出すから全てがフラットにならないわけで、
全てがフラットになれば結局世界は全て誰かの夢の中、あるいは
最近よく言われる宇宙はホログラムであったとか、何でも良いですけど、
リアリティがあるものなど存在しないという事がわかります。
リアリティの無い世界で価値を求める事自体が本来おかしいのです。
しかしながらスピリチュアルに助けを求めてしまうという事は、
皮肉にも
悩みやスピリチュアルに特別な価値を見出してしまうという事でもあります。
この矛盾から抜け出すためには、スピリチュアルは何の効果も無く、
いくら助けを求めても助からないし、どんどん不幸になって死ぬしかないという
絶望を感じまくる事です。
絶望を感じまくっても、別に死にはしないと思います。
という事は絶望自体に人を殺すようなパワーも無いし、パワーがあるかのように
価値を見出していたのは自分自身であったという事です。
こんな殺人パワーも無いショボい無価値な物は捨てるべきであります。
それでもまだ苦しい、と言うならそれは苦しさを大事に抱えているだけです。
大切な苦しさを失いたくない、というのなら抱えているものを無理矢理離せとは
言えないので、そのまま大事に抱えていれば良いんじゃないでしょうか。
でも抱えていても別に何の効果も無いし、やっぱり価値の無いものだと知って
捨てた方が良いと思います。