「瞑想関係の本を読んでから、平常心というか無心であるようにしていますが
上手くいかない」というメールを頂きました、ありがとうございます。
何故、平常心や無心が上手くいかないのかと言うと、平常心や無心とは、
そうでない状態、つまり
平常心が崩れた状態も含んでいるからであります。
ですから最初から崩れる事も内包した状態なので、上手くいかないっちゃいかないのも
当然とも言えます。
要は平常心だ無心だと色々言っているのは夢の中の登場人物なのですよ。
夢の中の登場人物には心があるように見えますが、夢には心はありません。
なので無心とは夢の中の登場人物が勝手に作った概念であって、実在するものでは
ないのであります。
結局、
あらゆるものに実体は無いのですね。
しかしながら同時にあらゆるものに気付いているからこそ、夢の世界が創られているわけで、
ではその気付いているものとは一体何か、という事です。
それに名前を付ける事は出来ません。名付けた瞬間に、それもまた夢の中の概念に
なってしまうからです。何処まで行ってもパラドックスに陥ってしまいます。
まあ早い話、今回の記事みたいな事をゴチャゴチャ考えなきゃ良いんじゃないでしょうか。
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