前回の記事の続きみたいになりますが、要はお金でも何でも
あらゆるものに深刻な悩みとか、何でこんな不幸なんだというのは、
全て自分で自分を殴っているようなものであるという事であります。
あらゆる恐怖や不安から解放された感覚とはどんな物なのか、
微妙に違うかもしれませんが、早い話が
物事に対する慣れた感覚、
あれに近いのかもしれません。
今となっては恥ずかしい思い出ですが、私が厨房の頃って
ろくでなしブルースとか流行った世代なんで、
喧嘩が強い事が
カッコイイ・女の子にモテるみたいな風潮がまだあったんですよ。
恐らく喧嘩強いのがステータスだった最後の世代ですね。
で、自分で言うのも何ですが私は結構喧嘩強かったんですよ、モテませんでしたけど。
何で強かったのかというと、当時柔道やっててガタイも良かったとか以上に、
妙に喧嘩度胸があったんですね。
それは何でかっつーと、私のオヤジは親としては非常に不器用な人で、
子供を叱ると言ったら怒鳴るか殴るかしか出来ないタイプでした。
悪ガキだった私は小学生の頃から散々ブン殴られていたのであります。
しかもあの野郎、一発だけじゃなくて三~四発マジ殴りしてきやがって、
まあ私の口答えが達者だったっていうのもあるんですが。
そういうのもあって、早い話が殴られる事に対しての恐怖心が無かったんですよ。
痛いとか怖いっていうのに慣れてたんですね。
さすがにしょっちゅうオヤジのパンチやキックを喰らっていれば、厨房レベルの喧嘩で
相手が凄もうが殴り掛かってこようが怖くも何とも無いですからね。
なので慣れるっていうのは、結構大事だと思います。
慣れた状態で物事を進められる・特に何も気にならないっていうのは結局の所、
無意識に行っているわけで、それはまさに潜在意識的な話にも繋がりますからね。
ですから感情を感じ切りましょうとかも、
"慣れる"という観点から見れば
意味はあるんですよ。
前回はお金で例えましたが、
すごい喧嘩だの痛いパンチなんて個人の中にしか無いんですよ。
まあいくら慣れたと言っても、私みたいに厨房の頃の喧嘩で
相手がちっこいナイフ振り回してきて、でもまあ大して痛くねーだろと思って
腕でブロックしたらきれいに肘のあたりがスパッと切れてビビるのは単なるアホです。
しかも切った相手も血流れてんの見てビックリしてたし、
今思うと殆どコントじゃねーかって。
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