「問題や何かが起きてもそれらを受け入れるのが難しい」というメールを
頂きました、ありがとうございます。
受け入れるというか何というか、早い話が何でもかんでも感謝してしまえば
自然と受け入れられるようになります。
例えば椅子に座ってる時も、何故椅子に座れるのかというと
椅子に座れるような形状(?)に我々の身体がなっているからで、
さらに椅子の方も人間を支えられる形状になっております。
つまりお互いがお互いを支えあっているわけで、我々は椅子に座れる形状に
なっている事を感謝していれば良いのであります。
これは全てに当てはまる事で、例えば感情や思考も
”感じ取れる”事が
既に感謝の対象なわけで、良いも悪いも無いのです。
本来何も無い世界(?)に実体を与えて世界を構成しているのは、
要は
自作自演みたいなものなのであります。
これはゲームのキャラが敵も味方も同じCGで出来ていて、
さらに両者が居ないとゲーム自体が成立しないのに近いです。
ですから自分の意志なんてものは無いのです、ルビンの壷のように
何かと何かがくっ付いて何かを成立させているだけです。
つまり
何かを成すものなど居ないし、成されるものも無いのであります。
で、話が最初に戻りますが、何かを受け入れるのが難しいというのなら
その感情のおかげで自己と世界が成立しているのだと思えば良いのです。
そうすると自己や世界というのものは何かと対になって初めて出てくるもので、
実は本来は何も存在しなかったという事を知るのです。
実際は
「無」だけで、他の物はそれらを彩る模様に過ぎないのであります。
スーパーマリオというプログラムがあるだけで、マリオもクッパも
本来はゲーム内の模様みたいなものである事と同じですね。
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