前回の続きです。
「思考」が様々な取っ掛かりが無いと出てくることがなく、
実は「私」とは純粋な意識であった事に気付くと、周りの世界が非常に迫真を
持って迫ってきているというか、ありのままに見えるというか、
プレステ3よりリアルな圧倒的な臨場感というか、とにかく世界が変わりました。
これは目に見える対象物だけでなく、距離や時間や匂いといった
要素全てを含みます。それらの要素全てが、意識である私が創り出していた、というか私の分身であったのです。
そして今までいかに「思考」に惑わされ、「思考」に操られ、エゴによるストーリーの中にいたか
痛感しました。まさに
瞬間ごとに次々とエゴが思考にくっついてストーリーを
紡ぎ出していたのです。しかし、それらはもう幻だという事も実感しました。幻が消えると、今まで自分がいかに
源泉からの贈り物に気付かなかったか、全て満たされているのにわざわざ目を逸らしていたという
事にも気付くことが出来ました。
なんか一昔前のRPGみたいですが、まさに世界が真の姿を現しつつあったのです。
そうなるともう言葉では言い表せませんが、あえて言うなら何から何まで全てに
「宇宙」を感じました。大げさに言えば全部自分が創ったんだ、という
シムシティで一千万都市を作り上げた時みたいな高揚感を感じたわけです。
朝の光も宇宙、すき家の牛丼の米粒の一粒一粒にも宇宙、雨や風にも宇宙、
ウンコの臭いにも宇宙、台所から玄関までの距離にも宇宙、
宇宙刑事ギャバンにも
宇宙を感じました。
既に
読んでる人置いてけぼりの状態だと思いますが、
これはモーレツア太郎ならぬキョーレツな至福感を伴います。
今まで付き合ってた女が研ナオコみたいだったのに、スッピンだと佐々木希だった、みたいな
至福感です。
この体験がカッコ良く言えばスピリチュアルな目覚め、悪く言えば
単なる危ないオッサンへの
目覚めだったと思っています。
次回以降も
読者ブッチギリで続きます。
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