読者ブッチギリの話が続いていますが、前回の続きです。
さて、何でもかんでも宇宙を感じて
「宇宙パねぇ」になったのですが
これに気付いてからの私はもう何もする気が無くなりました
(でもブログは書いてる)別に無気力になったとか、重度の鬱病とかではなく、今まで不足だと感じていたものが
全部エゴによる幻であったということに気付いたからです。
結局、いわゆる願望実現法などは、この「幻」に対してのアプローチである事が
殆どです。幻に幻をぶつけていっても、出てくるのは更なる幻であります。
前も同じような事書きましたが、不足が幻だと気付くと、幻に対し色々とアプローチしようと
しなくなります。
というか幻なのでやってもしょうがない、アプローチ自体出来なくなります。そうすると、どんどん思考が消えていきます。
思考が消えると、思考であれやこれやと判別しなくなるので、ずっと同じ場所に在る感覚に
なってきます、いわゆる
今に在りなさいとかスピリチュアルマスターといわれてるオッサンが
言っているのは、これなのかもしれません(多分)
あとはもう、勝手に世界が(私が)動いているだけです。そこにはある種の
神懸かり的な調和を
感じます。そもそも体を動かすとか何々をやってるかとかは、
全部思考による後付です。トイレでウンコしてても、彼女と携帯で喋りながらクソしてれば話の方に夢中になってて
トイレに居たとかは全く意識に上りません。つまり
本当にクソしていたのか?ということです。
「俺が彼女と喋りながらトイレでウンコが消失中」という
ラノベのタイトルみたいな展開ですが、
全ては後付ではないのか、後付の思考にエゴがくっついて勝手にストーリーを紡ぎ出し、
そのストーリーが真実であると信じ込んでいただけではないのか、という事です。
私自身、その事に気付くと、どんどん世界が(私が)変わっていきました。
今まで感じていた不足感は全部ウソだったのです。
最初から万事OKでした、わざわざ不足をせっせと作っていただけだったのです。もう自分も他人も、そこにはありませんでした。
あまりにも完璧に調和しているエゴの理解の範疇を超えた何かが、
「宇宙パねぇ」があるだけでした。
そこはエゴに理解できる言葉で説明しようとすれば
「愛」とかかもしれません。
ただ私としては「愛」という言葉は誤解を招きそうなのであまり使いたくない言葉であります。
私の感覚としては
楽しいの「楽」が近いような気もします。
言い換えれば、家族で生まれたばかりの赤ん坊を見るあの時の感覚に近いかもです。
といっても私は若い頃から女性関係も極めてアバウトだったせいで、今だ独り身で子供も
いないんですけど
(避妊はアバウトにせずしっかりやってた)しかし、独り身のオッサンでも何故か子供が生まれた時の感覚になってしまう事こそが
宇宙パねぇの凄さであります。
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