昨日の記事で元々「ある」ものに気付く、みたいな事書いたんですが
「ある」って何ですかという、よく考えれば
当たり前すぎる質問を
読者の方から頂きました。
これは非常に文章で説明するのが難しいですが、「ある」という単語を使ったのが
混乱の元だったかもしれません。
「ある」というより、
「真実に気付く」事であります
例えば、あなたが一度目を閉じて、次に目を開いたときにはいつもどおり部屋が
広がっていると思いますが、これは目を開けた瞬間に今までの記憶やらエゴやらが
瞬時にくっついて、
「私の部屋」を創っているわけです。
ここから話が少しややこしくなります。以前、未来も過去も幻であるという話を書いたと
思いますが、目を開けて自分の部屋を確認したときには、
「あそこの染みは3年ぐらい前にコーヒーこぼしたときの」とか「あそこは昔、恋人と
一緒に座ったベッド」とか「あのタンスの上に時計を置く予定だ」とか
幻のはずの過去や未来を参考にして「自分の部屋である」と認識しています。この処理は
超絶ハイスピードで行われるので普通は全く気付きません。
で、
これにエゴが絡むとエゴが迫真の演技で主役を務める連続ドラマが始まるわけです。「あそこは昔、恋人と座ったベッド・・・」「そういえばもう5年もまともな恋愛をしていない・・」
「友達はみんな結婚した、アタシだけ何で・・・」「絶対に幸せな結婚をしたい!
今日から
毎日お祈りよ!!」とかなるわけです。
お祈りする前に結婚相談所でも行けと言いたい所ですが、
そもそもの発端は本来無いはずの過去や未来を手掛かりに「自分の部屋」を創った事です。
つまり
幻を採用しないでありのままに在る事が出来れば、一切の混合物が無い純粋な
「今」を垣間見れるのです。世界と一体とはこの状態で体感できるものです。
「でもアタシ、結婚したいわ。やっぱりお祈りよ!!」 ちょっと待ってください、
これでは振り出しに戻ってしまいます。
純粋な「今」を垣間見たということは、幻である過去も未来も採用していないということです。
それなのにわざわざ「結婚したい」と言い出すのは「恋愛で失敗した過去」「楽しい新婚生活への
未来」とかをわざわざ引き戻して採用しているということです。
「今」に近づくと願望に混じっている様々な不純物
(過去とか未来とか条件付けとか何たらかんたら)が無くなっていきます、やがて目の前にあるはずの「部屋」も消えます
(感覚的に)何故なら究極的に言えば「これは部屋の壁」とか「これは窓」とかも勝手に条件付けした概念
だからです。全てが消えたその瞬間、
「宇宙パねぇ」が見え、願望は願望では無くなり純粋な意図と
なります。
大げさに言えば宇宙に「意図」を創造したのです、それはまさに源泉かけ流しから
世界を誕生させた瞬間であります。
なんか
火の鳥みたいな話になってしまいましたが、最初はあまり願望どうたらこうたら考えずに、
幻を採用してエゴのストーリーが始まっていないかを見ているだけで良いと思います。
その内真実が顔を出します。
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