前ももしかしたら同じ内容の記事を書いたかもしれないんですけど、
ここ最近
「不安でしょうがないです」という内容のメールをよく頂きます。
「もう不安で不安で死にそうです、何とかなりませんか」という切実な内容の
ものから
「不安で僕のウンコが漏れそうです!!」とか書いてある
こっちがメールの送り主の頭に不安を感じてしまう内容まで色々ありますが、
結局ナントカメソッドなりナントカ式実現法とかを実践していても、最後の壁というか
難関として立ちはだかるのが
「でも、ダメだったらどうしよう」という不安なんですよね。
まあそもそも本質的な話をしてしまうと、時間は幻であるわけですから
「ダメだったら」という
未来に焦点を絞るのはおかしいんですよね、
これもエゴのおかげで寝ぼけているのでこのようになってしまうわけです。
といっても、いきなり
「俺は寝ぼけてるんだー」と叫んで不安が無くなっても、
周りの人から不安な目で見られると思うので、もう少し具体的なメソッドみたいのを
考えなくてはなりません。
で、メソッドといっても、このブログで前から書いていたように、何もかも源泉かけ流しに
任せてしまえば良いので、
エゴの視点から見ていちいち不安とか苦しいとか評価しても
しょうがないのであります。
例えば「50万円欲しい!!」と死ぬほど思ってた人が、残念ながら50万円貰えなくても
別ルートから1億円貰えたら、恐らく50万欲しいと強く思ってたことなんて
頭からすっ飛ぶと思います。若いネーチャンに振られても、もっと若くて綺麗なネーチャンとドッキング出来たら
前の女なんて頭から消えて無くなるのと同じであります。
女性の読者はこの辺に強い抵抗を感じると思いますが、
男なんてそんなもんです。話が脱線しかけましたが、結局不安というのは
その場その場の状況にエゴが勝手に
「不安だわ」と名付けているだけで、何の効果も無いものであります。
ですから「不安ではなく単なる過程」であるということです。
「過程」というと「時間」を前提とした概念なので
厳密に言うとおかしいのかも
しれないのですが、あんまりぐだぐだ言うと混乱をきたすと思うのと、
まあ何でも良いじゃないかといういつものアバウトさで、
取り敢えず不安を感じていても
「これは単なる過程なんだ」と認識することです。
が、しかし。この
過程だメソッドには大きな落とし穴があります。
それは「今はとても不安だ、でも過程なんだ」と思う事で、
ずーっと「不安」の方に
焦点が合う恐れがあることです。これだと単なる現実逃避になってしまいます。
「不安だ、でも過程だ」と認識することで、徐々に「不安」も「過程」も実は存在しないことに
気づいていくことがベストです。最終的には逃げるべき現実も存在せず、全て完璧で調和の取れた
宇宙を垣間見るという事です。
つまり真のメソッド(?)とは
メソッドを知り、なおかつそのメソッドを打ち破る事と言えます。
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