本願とかその他のどうでも良い願望とか、色々区別している人も居るようですが、
これはあまり
意味が無いと思います。
大体において本願とか言われる物は裏を返せば「これさえ叶えば万事OK、でもそれは大変に
難しいかもしれない」みたいな強固なエゴがくっついていたり、というより
強固にエゴが
くっついているからこそ本願なりうる訳ですが、願望に難易度自体はありません。
もちろんエゴの視点から見れば、難易度みたいのは存在します。
世界一週と町内一週はもちろん前者の方が難しいと感じるでしょう、
しかしそれはエゴ視点での判断であるだけです。
あまり
本願とか設定しないことです。
本願という属性を与えれば与えるほど、なかなか実現しない事になるかもしれません。
何故なら本願=これが満たされていない と
「満たされていない」のだというエゴが
どんどん増長するからです。
基本的に願望とは、今までの過去やこれからの未来を予測して作るものです。
これは願望を抱いた瞬間にエゴが超速で行なっています。
例えば既婚者が結婚したいとは思わないでしょうし
(多分)独身者が離婚したいとか思わないのと
同じです。過去に結婚したとか、現在独り身でこれからも諸々の事情で独り身の可能性が高いとか
そういった
「データ」を瞬時に取り出して判断しているのです。
で、本願(と思っている)ものほど多種多様なデータから構築されていることが多いです。
ですからデータの解体をすべきであります。
データというのは言い換えれば様々な条件付けです、別に条件付けしまくっていても
直接の問題は無いのですが、しかし
その条件は真実だろうか、という所から始めて行くと
いかにエゴによって固められていたかを見抜くことが出来ます。
普段呼吸したり歩いたりしているのに、いちいちお願いしたり条件をつけたりしている人は
あまりいないと思います。
呼吸するたび「お願いします!」と募金活動のように叫んだり、
前に進むには三歩進んで二歩下がるのだ!とか条件をつけて歩いている人はいないでしょう。
(それはそれで何かカッコイイけど)何故呼吸や歩行が何も考えずに出来るかというと、まさに源泉かけ流しに委ねてしまって
いるからです。文字通り勝手に出て来ているのです、というより
既に用意されているのです。ですからエゴの超速処理が効かないのであります。
結局の所、本願だ何だというのは実は源泉から
既に湧いているんですよね。湧いているのに気づくか気づかないかの違いなのであります。
それに気づくには、何度も書いていますがエゴによる寝ぼけからの脱却が必要なのです。
そのためには今回の「データ云々」もそうですがスパコン並みに超速でエゴが行なっている
処理みたいなものに気づいていく事です。こればっかりは二位じゃダメどころか
二位で全然OKなのです。一位はあくまで源泉でなくてはなりません。
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