読者の方から「どうでも良い事は
バシバシ叶うのに強く願っている事だけは
なかなか叶いません。どうしましょう」という内容のメールを頂きました。
バシバシ叶うんだから別に良いじゃないかとも思いましたが、
結構この手の悩み(?)みたいなのは多いようですね。
つい最近もあまり願望を本願とか何だとか区別しない方が良いみたいな事書きましたが、
結局、本願っていうのはなかなか叶わないもの、何だか叶うとすごいもの、みたいな認識なんで
エゴが反応しやすいんでしょうね。今回はもうちょいこの辺について書こうと思います。
例えば
「彼女が欲しい」という”本願”を抱いている若者がいるとします。
彼は、「意図してあとは湧いてくるのに任せてどうのこうの」とか書いてある
本やらブログやらを読んで、その通りにしたとします。
で、ある日のこと合コンのお誘いがあったとします。
恐らく彼はこう思うでしょう「やった!チャンスが湧いてきたんだ」と。
しかし、これこそエゴが
最も利用する罠であります。
前述の「湧いてくるのに任せて云々」をエゴ視点で捉えればどうしても「合コンだぜ、やった!」と
なりますが、エゴは「合コンでイイ女お持ち帰り!」とか「夏の海で彼女ゲット!」とか
過去にテレビやら雑誌やらで見た事だけで判断します。
つまりエゴは願望云々は関係なく、
エゴのデータベースみたいのと一致するかどうかだけしか
感知しないのです。願望実現法=エゴのデータベースに一致するか否か になってしまうと延々と同じことの
繰り返しになります。
合コンで全然相手にされなかったり、
ブスばっかりだったりすると、合コンでダメ=彼女出来ない
みたいになって「ナントカメソッドのやり方が悪かったのか」とか言い出してしまいます。
しかしこれはエゴのデータベースと一致してるかどうかだけの話であって、
よく考えれば合コンの結果と彼女云々はまったく関係無いのです。
エゴが
「合コンで彼女ゲット」はデータベースと一致しているから、それは願望実現を
期待してOKだ、と言っているだけなのであります。
本当は工事現場とかその辺の田んぼとかで彼女ゲットしたって良いのです。
しかしエゴのデータベースに
「工事現場で彼女ゲット!」とか
「田んぼに潜ってイイ女発見!」とか
は存在しないので、「それは無い」と判断してしまっているだけなのです。
合コンなんか行かなくたって、もしかしたらいきなり地面の中から穴掘って出てくる
ディグダグみたいな女性との出会いもあるかもしれません。
しかしそういう事もエゴのデータベースに無いから「否」となっているだけで、
それらのエゴの判断を信じてしまうから「いつまでたっても叶わない」とかになるのです。
あまりに「本願」という思いが強い人は、知らず知らずの内にエゴのデーターベースを
信用してしまっていないか、今一度振り返ってみると良いかもしれません。
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