基本的にこのブログでは根本的な部分に気付くことをメインにしています。
根本的な部分が変われば、対症療法的なメソッド類を追いかけ回さなくても
自然と枝葉の部分は変わっていくからです。
ここでエゴが納得しないからどうしようとかやり出すと、結局また寝ぼけた状態に
戻ってしまいます。別に
エゴを納得させる必要はありません、わざわざまた寝ぼける
必要は無いのです。
しかしながらどうしてもエゴが納得しません、苦しいです。と言う人は思いきり
苦しむのも良いかもしれません。「苦しさを紛らわせるために」色々やっても
結局は
苦しい事が前提にあるので苦しいままです。
開き直って苦しみまくると、いずれエゴがあまりの苦しさに根負けします。
そうすると、その「苦しい」と自分は実は何の関係も無かったのだという事に
気付けるかもしれません。
息を止めると苦しいですが、それは体が酸素が来なくて苦しんでいるだけで
別に「あなたが」苦しんでいるわけではないのと同じであります。
酸素が無くてアップアップしている体の状態を「苦しい」と名付けてそれと同化して
しまっているのです。
エゴ視点だと、どうしても「苦しさ」と「自分」を同化してしまうので、
「この苦しさが無くなれば自分は楽になれる」と勘違いしてしまうのです。
それと同じで
「楽しさ」も「自分」とは実は関係ありません。楽しけりゃ楽しいでそれで構わないし、苦しけりゃ苦しいで構わないのです。
これを読んで「楽しいも関係無いなんて何か嫌だわ」と思った方は、
エゴ視点での「楽しさ」が失われるような感じがして何か嫌な感じを受けていると
思われますが、そういったエゴ視点での楽しいだの苦しいだのを超えた域が、
本当の自分を垣間見れる場所です。
楽しいなら楽しいを放っておけば良いし、苦しいなら苦しいを放っておけば
良いのです、だって
誰もその事で文句は言わないでしょう。誰にも迷惑をかけていないなら、放っておけば良いじゃないですか。
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