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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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前回の記事の続きみたいになりますが、今に在るとか
どうしたこうしたというのを体感出来るかどうかと
言うと、基本的に自我で体感するというのは難しいです。

何でかつーと自我の働きというのはその名の通り
自分・我があるという感覚なので、自分にとって都合が
良いか悪いかしか判断しない所があります。

言い換えれば記憶を頼りにどれが安全か?を常に探して
いるものなので例えばお金が増えたら安全、無くなったら
危険とか、こっちを選んだらヤバそうだけどこっちなら
セーフとか、ものすごく雑にまとめるとヤバいかヤバく
ないかの判断を勝手にやってるだけ
です。

こうして記憶からあの時はこうだったからとか
この時はこうしたからとかで行動を勝手に決められ、
そしてそれが自己の意志に基づく自己の人生であると
誤解し、結果として"私"は存在する!と認識させるのが
自我の仕組みであります。

なので今に在る云々とかもそれは自我にとっての安心感
であって、体感を求めるものではありません。

重要なのはこれは安全とかこれは危険とかの判断を勝手に行い、それに基づき勝手に人生を生きていると誤解している
という認識に立つ事です、
別にこれは赤信号でも突っ込めとか明らかに賞味期限
切れてるのに無理矢理食えとか言ってるのではなく、
自我の判断のもとに動かされていたのだと知る事で
あります。

つまり最初からあなたの人生なんてのは無いし、
人生を動き回っているあなたも居ません、
不動であります。
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「現在の定義って未来と過去の狭間なので、だとすると
スピリチュアルでよく言われる未来も過去もないなら
今はどこにあるのか?」


というメールを頂きました、ありがとうございます。

前も書きましたが今を感じましょうとか今に在るって
右眼を右眼で見てみましょうとか左足を左足で踏んでみろ
とか言ってるのと同じで基本的に無理です。

なのでそのような試み自体をやらない方が良いです。
そもそも何で今を探そうとするのかっつーと、
何かそっちの方が良さそうとか何か色々上手く行きそうと
いう期待があるからだと思うんですよね。

しかしですね、今に在ったところで別にお金が入って
くるわけでもないし恋人が出来るわけでもないし
喧嘩が強くなるわけでもありません。
というのを聞いたら言い方悪いですけどスピリチュアル系
に縋っている人達は絶望すると思うんですよね。

絶望すると今に在ろうもクソも無く、もう何もかも
終わりや、何の意味も無かった。となるかもしれませんが
その瞬間、つまり過去を意識する事も無く未来にも
期待しないその瞬間が今であります。

つまり今に在ろうという試み自体が過去や未来を
わざわざ作ってそこの隙間に入り込もうとする無理ゲー
なんですよ。
であるならば最初から過去も未来も無い状態が実は
デフォルトであると知る事であります、そしてそれを
垣間見るのは未来への希望では無く今に対する絶望
なんですね。

絶望するからこそ過去や未来、そして今に執着する自我を
断ち切る事が出来るわけです。
人生オワタ、ならばもう過去や未来も無いって事ですから
最初から今にしか居ないんですよ。
就任したばかりの石破総理が昨日衆議院解散を宣言し、
何と今月27日には投開票となってしまいました。
選挙好きを公言する私としては今回の衆議院選挙は
当然見逃せません。

つーか最近は選挙関連の話題が多くて当ブログも選挙
ブログになりそうな勢いですね、何かついこの間も
総裁選最高や!とか言ってた気がするんですが。

しかし就任してから解散するのメッチャ速くないですか。
私の記憶だとここまで速かったのは記憶に無いッス

勝手な憶測というか妄想ですが、どうも自民党は
今回の衆院選で議席が減るのは織り込み済みで、
何かあんまし勝ちに行ってる感が無いんですよね。
これは既に党内で次の総理を巡る熱い権力闘争が
起きているのではないかと勝手に予想してます。

多分議席が減ったら党内に友達も仲間も少ない石破さん
ですから、全てキモい石破のせいだみたいに責任
おっ被せられて早々に降ろされてしまうかもしれません
ね。

その後クビをすげ替えて高市さんとか進次郎とか
コバホークとかでイメージを一新させ
「裏金議員も前回の選挙で落選し、議席も減らしまし
たが、国民の皆様のお叱りを受け自民党は新しいリーダー
の元で生まれ変わります!(変わってないけど)」とか
言えば何となく支持率上がるじゃないですか。

それでタイミングを見計らってもう一度解散打って議席を
取り戻すまでがセットになってるような気がするん
ですよね。

私が自民党という政党がすげーなと思うのは
政権与党で在り続ける為なら恥も外聞も無くどんな手段
でも使うって所ですね。なので仮に今回の衆院選で
過半数を割ったら割ったで適当な野党と夢のタッグを
組んで、取りあえずウチが政権与党や!ぐらいの事は
やるはずですし、その節操の無さが自民党を日本最強の
政党たらしめていると思います。

ただ石破さんも石破さんで何となく今回は負け前提で
石破を降ろす、みたいな空気は感じていると
思うんですよね。
そうすると解散を打ったのは党内の圧力みたいのに
押されたのか、または石破さん個人は独自の勝算が
ある上で解散に踏み切ったのか、その辺が何とも言えま
せんが。

いずれにせよ選挙好きを公言する私としては今月末の
衆院選に続き、メインイベントであるトラさんと
ハリスおばさんの大統領選まで目が離せません。

ちなみに私は大統領選の方はまだギリギリ僅差でトラさん
かなと思っています、特に根拠は無いですけど。
読者の方から教えてもらった書籍で「秘法ヨガ入門」
いうのがあるんですが、現在Kindle Unlimitedでも読める
みたいですね。

私はヨガはよく知らないですが、この本は結構有名な本
みたいで、確かに勢いというかパワーというか
「言葉の意味はわからんがとにかくすごい自信だ」みたい
な内容で、スピリチュアル的にも参考になるものでした。

ただこの本の初版が約四十五年ほど前らしいので、
ちょっと内容や言い回しが古いっちゃ古いですね。
何故かアダムスキー型円盤の話とか出てきますが、
アダムスキーって私が幼稚園の時に読んだUFO本に出てた
ぐらいなんで相当に古いですねこれ。

後半からいきなり怒涛のオカルトてんこ盛りに
なりますが、これもまた勢いで押し切る感じで、
いきなり超能力に目覚めて宇宙神の言葉を話す
当時四十五歳のオバハンとか、宇宙人からラブレター
もらったUFO研究家の博士とか、「キリストもブッダも
大したことねえよ」
みたいな事を言い出す当時二十歳の
若者であるK青年とか、ヨガの話はどうなったんだろうと
思いつつも勢いに押されてそのまま読み終わって
しまいました。特に最後に出てくる謎のK青年の
「僕は"静か"を捉えている」という言葉は非常に
言い得て妙というか、上手い表現だと思いました。

というわけで内容はややトンデモ寄りかもしれませんが、
決してネタ的な感じで取り上げているのではなく
ヨガ、そしてスピリチュアル的な気づき、超能力的な
ものに真剣に向かい合った名著であると言えます。
「私の周りではいわゆる信心深いというか、宗教を信仰
している人がそれなりに幸せそうにしています。
やはり宗教は成功の為の人類の知恵みたいなモンなのか」
 
というメールを頂きました、ありがとうございます。

これは結構興味深い内容ですね、
何らかの宗教信じてますというのは日本だとオウム事件
以降何となくイメージ悪いですが、欧米だと普通に
スピリチュアル系の書籍に聖書の言葉がバンバン出て
きたり、たまに宇宙人と神様の区別が付いてないような
本もありますが、別に特定の神様を信仰していなくても
自我は何かしらを信奉してるとは思うんですよね。
というか信奉・信仰により自我が行動を制御する機能が
宗教
ではないかと思っています。

非常に簡単な例だとウチの娘ちゃんが幼稚園に入った
ばかりぐらいの時に、寝る時間になってもなかなか寝よう
としない時は最終手段として「早く寝ないとオバケが
出るよ!」と脅すと、
( ・Д・) オバケいや!こわい! とか言ってすぐ寝て
たんですよ。
つまり当時の娘はオバケを信奉(?)していたわけで
信仰により行動を制御していたわけですね。
小学生になり、おませな女の子になってからは多少は
ビビりながらも
(・∀・) オバケなんているわけないじゃーん(笑)
とか生意気言ってますが、でもサンタクロースは頑なに
信じているのがまだまだ子供ですね。

話が逸れましたが悪い事をすると地獄に落ちるとか
良い事をすると天国行きだとかの信仰を広めると、
行動を制御しやすいというのはありますね。
つまり宗教とは非常に簡単に自我を抑制・支配しやすい
のであります。

で、これを逆手に取って普段から無意識に何を信仰し、
何を行動の基準にしているかを客観的に見れば自我から
離れる事が出来ます。

例を挙げるとスピリチュアルブログに今に集中しろとか
書いてあったから今日から今に集中します!今まで過去や
未来ばかり集中してましたから!と決めたとします。
しかしこれは古い信仰(過去や未来ばかり見る)から
新しい信仰(今に集中)に乗り換えただけで実は
何も変わってない
んですよ。
なのでそこに気付けば自我が信仰している基準から
離れる事が出来ます。

別の言い方をすると肩の関節を挙げてバンザイしましょう
と言われてその通りやってたけど、肘の関節を外側に
向けて挙げてもバンザイになります、と言われてやっても
結局どっちもバンザイしてるのには変わらないですよね。
それよりも骨の配置によって結果的に肩と呼ばれる部位と
肘と呼ばれる部位があるだけです。
つまりこれ前も書きましたが関節という機能は存在します
が関節という部位は存在しない
んですよ。

それと同じで話を戻すと信仰という機能は存在しても
信仰という物体というか実体は存在しません。
つまりどういった機能の元に自我が存在するかのように
動かされているのか、という事を知れば動いている自我が
何を喚いてもそれは関係無い、つまりそれは私では無い、
という認識に至る事が出来ます。

まあ何かややこしい話ですが一言でまとめると機能が
あるだけで存在は無い、という事ですね。

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