「全て受け入れるとかありますが、
実際嫁さんが死んでも娘さんが重病になっても
受け入れなくてはならないのでしょうか?」
というメールを頂きました、
ありがとうございます。
この場合の"受け入れる"は未来への不安を
受け入れるか否か、になっています。
未来に何があるかはわからないので、これは
不安でも期待でも何でも受け入れるしか
ありません。
そもそも何で受け入れるのかっつーと、
だいぶ前にも書いたと思いますが、いわゆる
ゲームで言うプログラマー的な視点に立つには
何でもかんでも受け入れるのが手っ取り
早いからです。
プログラマーがゲームの全てを受け入れなくては
ゲームが成り立ちません。ですから全て
受け入れる、というのはそれが即プログラマーの
視点になるわけであります。
どうしても未来の不安に押し潰されそうだと
いうなら、何でもかんでも感謝感激雨あられで
良いと思います。
よく「何にでもありがとうを言えや」
みたいな事がスピ系の本に書いてあるのは
不安を不安として成り立たせない
テクニックみたいなものです。
実際はありがとうとプログラマー視点は
特に結びつきはありません、あくまで
不安が消えない人用の対症療法的なもので、
そのうち不安という概念も薄くなります。
で、ここからがパラドックスになるのですが
プレイヤーの視点、つまりマリオの視点の
場合はたくさんコインが欲しいとか
1UPキノコくださいとか思いますが、
プログラマーの視点になってしまった場合、
別にマリオが何人死のうがプログラミングの
範疇なので、特にキノコくださいとか
どうでも良くなりますよね。
ところが面白い事にプログラマーの視点に
なった途端に、アホみたいにコインやキノコが
出てくるのであります。
これは結局の所、マリオもコインもキノコも
同じドット絵であって同じプログラムを元に
しているからこそ、プログラミングされた
世界にいくらでもある事に気付くような
ものだと思います。
これがマリオの立場からキノコくださいだと、
延々と裏技探すようなもので、
なかなか厳しいものがあります。
ただこれを突き詰めると、コインやキノコを
沢山もらって喜んでいるマリオもまた、
居なくなってしまうのであります。