「湧いてくる思考を観察しようとしているのが
真実の自分的なモノなのか」というメールを
頂きました、ありがとうございます。
別に観察する必要は無いと思います。
思考というか心とは勝手に思考が
湧くものですから、それを観察しようとするのは
唾液が勝手に湧く口内を観察しようと
するようなものであります。
目は開いてれば勝手に何かを見続けるし、
内臓は勝手に活動していますし、
脳は勝手に色々やっています。
そういった様々な事を自我が解釈した物の総称が
人生と呼ばれるものであります。
しかし勝手に活動しているものからは本来
自由なのですから、個人の人生というものは
何処にも無いし、始まる事も無いし終わる事も
ありません。
それがわかると、あらゆる問題と思って
いたものは消えます。何故なら問題とは
人生の上に発生するものであって、その人生が
存在しない以上、問題も無いからであります。
仮にあなたが電車に乗っていれば電車は
勝手に走っていますが、
あなたは走る事からは解放されています。
電車から降りて「今日はすごく走った」とか
言わないでしょう。
それと同じで人生の上で何かを行っている
個人自体、そして人生そのものが、
最初から何処にも無かったという事です。