「全てが勝手に起こるのであれば、やはり
成り行き任せという事にしかならないのでは
なかろうか」という内容のメールを頂く事が
多いですが、任せた方が何だかんだで
上手く行きます。
例えばサーフィンなんかは完全に波の動きは
成り行き任せですが、無理矢理波を
押さえ込もうとかすると思いきりズッコケます。
上手い人のパフォーマンスは、波に文句を
言わずにただ板に乗っているだけです。
波は操るものではなく、乗る為のもので
あります。それと同じで人生と感じるものも、
ただ単に乗るものです。
しかしながら何故これだけ人生に文句を
つける人が多いかというと、
サーフィンに行って、波は操れないものですと
言われるとすんなり納得するのですが、
何故か人生は操れると感じてしまうからです。
「波は操れませんよ」だと、そりゃそうだろ
俺は波じゃねーし、で終わりなのですが
「人生は操れない」だと何故かそれは
困りますとか言い出してしまう。
でも上手いサーファーで波が操れなくて
困っている人が居るかって事です、
波が操れないのに優れたパフォーマンスを
見せる事が出来るのは、ただ単に波に
乗っているからであります。
それと同じで人生が操れなくて困る人って
居ないんですよ、困ると感じる人が居るだけ
です。
そして人生に乗るのはサーフィンで波に乗るより
ずっと簡単です。板に乗る必要も無く、
全て受け入れるだけですから。
サーフィン行って波と一緒にゴミやタコが
流れて来ても、ゴミだねタコだねで
終わりです。困ったねとはなりません。
それと同じで流れて行くものに気付き続ければ、
実は肉体の感覚ですら、ただ単に波に紛れた
ゴミの如く、流れていただけのものである事に
気付きます。肉体の感覚が単なる流れの一つなら
それに伴う"人生経験"も、やはり流れて行く
一つの物に過ぎないという事であります。
という事は今まで後生大事にしてきた
自己というものは何処にあったのか?
実はそんなもの存在せず、
サーフボードには最初から誰も乗って
いなかったのです。