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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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試験勉強とか何だとかを何もしなくても大丈夫なんでしょうかみたいな
メールをたまに頂くのですが、これは学生時代まるで勉強しなかった私からすれば
そりゃあ勉強した方が良いですよ。やはり社会に出てから学のある人とそうでない人は
結構な差がつきます(と思うよ)
私みたいなFラン大学で朝から晩まで遊んでた馬鹿からすると、
一流大学を出た頭の良い人とかカッコイイなあと思いますね。

で、試験だ何だでは「努力している私」が色々と妨害していると言って良いでしょう。
極端な例えですけど、一生懸命努力して勉強しても、猛勉強の休憩中に大地震が来て
家が潰れて死ぬかもしれないので、努力が報われるかどうかなんてわからないのです。

もっと言えば「努力する」必要は無いのですよ。
勉強とは教科書を開いて問題を解いたりする事ですから、問題を解く事だけをやるべきです。
勉強に限らず野球の練習ならバットを振ったりボールを投げる事をやるべきであって、
努力だ何だというのは概念であります。

ですから「試験勉強をしなくて良いのか」っつーのは
勉強のために潜在意識だスピリチュアルだのを努力すべきなのかって事で、
そんなもの努力してもクソの役にも立ちません。

スピリチュアルとは思想でも宗教でも無く、普段の行い全てがそれであります。
ですから教科書を開く、問題を解く事が全てスピリチュアルに繋がるのです。

そのうち行動している私も消え去り、人生を生きている私も消え去るでしょう。
全ては映画のように流れているだけで、最初からあるのは映写機だけだったのであります。
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なんか当ブログのメールボックスの調子が悪いようなので
何かありましたらsiranwa☆excite.co.jpまでお願いします

☆を@に変えて送ってください
私が小学校低学年の頃に今は亡き祖母から教えてもらった脳トレ(?)的なものが
あるんですよ。
それは「頭の中に浮かんだものをとにかく強引にでも良いから言葉で詳しく説明する」
というもので、パッと浮かんだものをひたすら説明するんですよ。

例えばオッサンが浮かんだら「頭の剥げたオッチャンで、背は低くて、歳はこれぐらいで、
服装はこれこれこうで」
とボキャブラリーを駆使して説明するんですね。

「これをやるとパッと色々な事が同時に浮かぶようになって賢くなれるよ」との事で
実際祖母はとても教養のある人だったので、私も遊び感覚で祖母や
お手伝いさんとよくやってましたが、あれから30年ほど経って賢いどころか
アホなオッサンになってしまいました、ごめんよおばあちゃん。

話が逸れましたけど、この前この遊びを思い出して30年の月日を超えて
やってみたのですが、これって脳トレというより刺激(イメージ)と反応(説明)の
繰り返しで自我という錯覚が生まれる過程みたいのを垣間見れるんで、
結構良いんじゃないかと思います。

結局自分というものも、自分というイメージなり肉体なり感情なりという刺激を受けて、
それに対しての反応に過ぎず、その蓄積で自我という錯覚は強化されていくものであります。
祖母はコンピューターおばあちゃんならぬスピリチュアルおばあちゃんだったんでしょうか。

頭に浮かんだものを詳細に説明しようとすると、ボキャブラリーを引っ張り出すのに
意外と頭使うんで、連休中ヒマな方はやってみてください。
一人でボソボソ説明してるとかなりさびしいですけど。
読者の方から教えてもらったのですが→ ttp://chaos2ch.com/archives/4370038.html
これは結構良い事言ってると思います。

上記の内容とは少し話が逸れますが、スピリチュアルだ何だに興味を持つのも
結局は自分の為ですよね、仮にスピリチュアルな本とか読んだら確実に死ぬとか
病気になるとか決まってたら、誰も手を出さないと思います。

しかし自分というものは存在しないものです。
これは観念とか何だではなく、確実な事実であります。

それなのに存在しない自分の為に何かを行うとは妙な話です、
という事はそれらの行いは自分の為にやっているように錯覚しているだけで、
実際は起きているだけなのです。

そして起きている事に対して一喜一憂しているように見える物も、
やはり一喜一憂が起きているだけなのです。

スピリチュアルは思想でもないし宗教でもありません、
それらのバックグラウンドであります。
ですから思想家は思想を通して表現したものがスピリチュアルであり、
宗教家は宗教的な概念を通して表現します。

思想家や宗教家で無くとも、八百屋のオヤジは日々の仕事を通して表現していますし、
サラリーマンは会社の業務を通して表現しています。

全て目覚めているとか、目覚めていない者は居ないとか何だとかは、そういう事であります。

なので毎日苦しいですとか不幸ですという人は、それらを通してスピリチュアルを
表現しているのです。表現されたものが自分ではなく、表現の源泉が己であると
知るべきであります。
私の学生時代の友人で年がら年中「金が無い、金が無い」って騒いでるのが
居るんですが、金が無いわりには可愛いお子さん二人と
すごい美人の奥さん(マジで!)を養って、たまに家族旅行とかにも行ってる
リア充なんですよ。
十分カネあるじゃねーかと思うんですが、何故か会う度に金が無いと騒いでるんですね。

まあ色々なケースがあると思いますが「金が無い」って言う人の殆どは
「金が無い」んじゃなくて「金を使いたくない」だと思うんですよ。
お金を使う事に抵抗があるので「金が無い」という言葉が出てくるんじゃないかと
思います。

ですからお金が無いっつー人は、「自分はお金を使いたくないのだ」と認識して
少しづつお金を使う事への抵抗を無くして行けば良いんじゃないかと思うであります。

仮に預金が十万円程度でもそれなりに高いお店でメシ食ったりは出来ますよね、
つまり金はあるんですよ、金はあるけど使いたくないだけなんですね。
まさに日本を蝕むデフレのような辛気臭いメンタルであります、
景気なんて読んで字の如く”気”なんですから、辛気臭い気を発してたら貧乏にもなりますよ。

いきなり十万円はたいて高級レストラン行けとか言ったらそりゃ抵抗あるでしょうが、
その抵抗も「お金が無いから」じゃなくて「お金を使いたくないから」である事を
知るべきです。

毎日少しづつお金を使っていっても「意外と残る」ものですよ。
お金を使う事への抵抗が減っていけば、「お金が無い」のを見ていたのは
単なる物の見方だけであったという事を知るでしょう。

で、同じように「死にたい」って言ってる人も結局は死にたいんじゃなくて
金が無いだのあれが無いだの、色んなものがごちゃまぜになってて、
それを一言で言うと「死にたい」だと思うんですよ。

ですからお金が無いのはお金を使いたくないから と同じで、何々が無いっていうのは
実は何々をしたくない、何々を使いたくないからという視点で見て行けば、
死にたいという世の中の見方も変わってくると思います。









まあ私は「毎週競馬に行っても意外とお金は残るもんだよ!」と嫁さんの説得を
試みましたが問答無用で却下され、しかも嫁さんが「お義父様からも言ってください!」と
チクったおかげでオヤジにまで怒られて泣きそうなんですが。

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