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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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任天堂の岩田聡社長の突然の訃報は多くの人が驚いたと思いますが、
私もファミコンブーム直撃世代として随分と任天堂にはお世話になりました。
高校の時にプレステが出て、そっからあまり任天堂のゲームはやらなくなりましたけど。

岩田氏は腫瘍が見つかってからどんどん痩せていってたので、これはマジやべえだろとか
思ってたら案の定ポックリ逝ってしまいましたね。

個人的に疑問に思ったのは、任天堂が社長が激やせしてるのに何故か業務を続行させ、
後任人事もまったく考えてなかったっぽい事ですね。

岩田氏が何が何でも続投するつもりだったのか、後任どころではないほど社内が忙しくて
バタバタしてたのかはわかりませんが、あれだけ痩せまくってんだから
もうちょい何とかならなかったのかとかは思います。

何はともあれ、岩田氏のご冥福をお祈り致します。
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「一瞬にして世界との一体感を感じ、多幸感が溢れました。しかし、その後は
元に戻ってしまいうんたらかんたら」
という内容のメールを頂きました。

まあこういうすごい多幸感とかは私も経験が無いとは言いませんが、今にして思うと
単なる病気か頭でも打ったんじゃないかと思っています。

スピリチュアルが好きな人は前述したような多幸感などを求めがちですが、
これは幸せと不幸を言ったりきたりしているだけで、今まで不幸だ不幸だと
思っていた人はそれの揺り戻しみたいな感じで、ちょっとしたスピリチュアルっぽい
気付き(?)でとんでもない多幸感を感じてしまったりするものです。

スピリチュアルとかに手を出さずとも多幸感を嫌というほど感じられる方法はあります。
それは、風呂の中にでも潜って限界ギリギリまで息を止めて浮上すれば、
思いきり呼吸出来てその瞬間は大きな幸せに包まれ、余計な思考も無く、
世界と一体となるでしょう。


「何だそりゃ、ふざけんな」と思ったかもしれませんが、
スピリチュアル的な気付きだ何だで突然幸せになってしまう人は、それと同じ事を
やっているだけです。つまり不幸だ苦しいと延々と潜り続け、何かの弾みで
顔を出して思いきり息を吸って「ああ、なんと素晴らしい!」とやっているだけであります。

つまり風呂に潜って顔を出して、とやってるだけで、実は1ミリも変わっていません。
突然「何かを得た!」とか言い出す人はこのパターンが多いと思われます。
まあ今まで風呂の中に潜ってて、いきなり顔を出して呼吸するわけですから
何かを”得た”と感じるのもしょうがないですが、実は風呂の中から一歩も
出ていないわけですね。ですから前述したメールの方のように「その後元に戻る」場合も
あると思います。

風呂に潜らずに肩までつかってのんびりしているのはとても気持ちが良いので、
何かを得てしまった人が何となくお花畑っぽくなってしまうのも致し方ないとは思います。

が、しかし。風呂から潜って、そして顔を出してという行為は、結局は風呂の中でしか
出来ない事であります。
ですから風呂の中で遊んでいるのではなく、風呂そのものになるべきです。

風呂そのものとはどういう事かと言うと、風呂に潜って苦しいですと喚くのも、
風呂から顔を出して風呂最高や!とのんびりするのも、全て風呂の中での出来事であり、
風呂が無くては出来ない事です。

つまり全ては意識(風呂)に投影されているだけだという事ですね。













ちなみに何故唐突に風呂の話が出てきたかというと、昨日風呂場で滑ってコケて
浴室のドアを派手にブッ壊してしまい、嫁さんに大変に怒られてへこんでいるからです。
何か貰える年金がショボイ事にムカついて、新幹線で焼身自殺するという
マッドマックスなジジイが現れてしまいましたが、カネが無いとおかしな事をやりだすと
いうより、結局はカネが無いとダメ人間・正社員じゃないと底辺みたいな
風潮がよろしくないのではないかと思います。

以前「目指せ一億総中流」の記事でも触れましたが、正社員以外は底辺だアホやダメやと
言うより、派遣だろうが日雇いだろうがそれなりの給与が貰えて、別に勝ちでも負けでも
無いっつーグレーな状態に世の中を持っていくべきではないかと感じますねえ。

まあ”努力”でのし上がったと思ってる人達は、努力もしないでプラプラしてる奴らは
低所得で当然やとか思ってるかもしれませんが、スピリチュアルっぽく言えば
努力してるしてないってのは本人がどう感じているかであって、
キツかったり辛い事を我慢してやってれば努力してのし上がったと思うでしょうし、
傍から見てメチャクチャ辛そうでも、本人が楽しくやってれば別にのし上がったも何も
思わないでしょう。

ですから努力してどうのこうのというのは結果とは全く関係がありません。
結果と関係無いのですから、努力と結果が結びつかなかったらどうするべって自体が
ありません。そもそも最初から結びついていないものを無理矢理結びつける必要が
無い
でしょう。

と言っても、自分は努力と根性でここまで来たのだ、と思っている人を否定するつもりは
全くありません。それはもうその人のキャラ設定みたいなもんで、無理矢理変えるものでは
無いです。例えば維新の会の橋下さんみたいな人は、何もせずに適当に遊んでた奴が
就職したらしたで安月給に文句言うなんてトンデモねえ、と言うでしょうし。

しかしながら努力だ何だを観て、感じているのも、結局は前回の記事に書いたような
架空のストーリーの内に過ぎないという事ですね。










まあ私みたいな若い頃遊び呆けてたくせに、結局祖父やオヤジのおかげで
気が付いたら何とかなってた馬鹿息子は、橋下さんからしたら「既得権益をブッ壊せ!」
言われてしまうんでしょうけど、既得権益の権化みたいな私としては、
努力したり競争に勝ったものが総取りより、最初から努力も才能も無い人でも、
それなりにお金が貰えて消費活動をしてくれる方が結果的に全体のパイが
増えるんじゃないかと思うんですが。
一週間ぐらい前に「もう死にたいです」的な事が延々と書いてあるメールを
頂いたんですよ。 
で、こちらも「死ねよ」的な事を書いて返信したのですが、
昨日またメールが来て「死にたいですが来月観たい映画があるのでまだ死ねない」
あったんですね。

しかしながら死の予行練習とも言える熟睡時には「死にたい」とも「来月まで死ねない」とも
思いません、という事はそれらの思考は全て己の物では無いという事です。

前も書きましたが起きている時と夢を見ている時、そして熟睡時に共通して存在している
もの
だけが事実です。
ですから思考が己の物なら熟睡している時も「来月あの映画を観るまで死ねない」とか
思い続けているはずであります。

結局「死にたい」も「来月まで死ねない」も全て架空のストーリーにハマっているだけと
言えます。なので「死ぬ」とは首を吊るとか切腹するとかではなく、いかにストーリーに
ハマっているかを知るだけです。

そもそも死にたいから首吊るとか腹を切るとかも架空のストーリーが継続しているだけです。
熟睡時には肉体を感じないのですから、わざわざ腹を切る必要も無いのですが、
架空の世界に迷い込んでいる時は「肉体を消せば平和になれる」という架空のストーリーが
展開してしまうわけです。
これはドラクエとかの仮想世界のゲームで「魔王を倒せば平和になる」とか言ってるのと
同じような事です。

なので「死にたいです」に対する答えは「死ねよ」以外に無いのであります。
「私は幼い頃から貧しい暮らしでしたが、努力してある程度の金持ちになれました。
努力の大切さについてどう思いますか」
みたいなメールを頂きました。

この方が努力を重ねて結果を出した事は大変に素晴らしい事です。
少なくとも私のようなボンボン育ちには無理です、本当に立派な方だと思います。
しかしながら私は努力とか何だとかは特に何とも思っていません。

前も書いたと思うんですけど、努力した所で結果が出るかどうかなんて
わかりません。例えば私は一時期ベンチプレスの重量をあげたいと思って
それなりの努力をしていましたが、ある日ジムのサウナで世間話をしたオッサンの
アドバイスで、次の日から重い重量を挙げる事が出来るようになりました。

これは私が努力したとか才能があったというより、オッサンが素晴らしいだけで、
オッサンのアドバイスが無ければ今でもベンチプレスの重量は停滞していたでしょう。

つまり何がきっかけでどう転ぶかというのはわからないのですから、
わからないなら気にするなという事です。

努力している、という自分があると、どうしても努力が報われないのは何かが
間違っているからだ。
という結論になりやすいですが、何がどうなるかわからないのですから
わからないものを気にしてもしょうがないでしょう。

ですから努力というものは、努力しているという感覚・もっと言えば努力という
単なる言葉
だけであって、何かに影響を及ぼすものではありません。

何にも影響を及ぼさないのに「こんなに頑張ってるのに報われない」とか思って
過ごすのは精神衛生上にもよろしくないと思われるので、それなら何かをやる時に
努力しているという感覚をとっぱらった方が良いと思います。

全ては呼吸と同じくただ行われているだけです。
そしてただ行われている呼吸に特に何の問題も無いのと同じで、
ただ行われている事が最も問題が無い完璧な状態であり、本来はその状態が
デフォルトなのであります。
行うのではなく、行われている というのが重要と言えば重要ですね。

まあ貧乏だ裕福だって感覚は環境との分離(私がこの環境を経験している)
周りとの比較が殆どだと思うんですけど、それから逃れたいという動機から努力して、
色々あって結局逃れる必要は無かった、とわかる人も多いと思うんで
あくまで通過点としての努力は必要なのかもしれないですね。
周りとの比較は完全に相対的なものなので、比較自体が意味の無いものです。









まあ私はこの前色々あって、嫁さんから「お義父様は立派な方だけど、
アンタは立派でも何でも無いね」と言われて軽くへこみました。
やはり比較は良くないと思います。

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